第136話_自分の頭で考える前に自分の中にある前提は何によって規定されたかを点検する<風姿花伝>
おはようございます。
#この青空を君へ は、
子育てにおいて一番大切なことは
親が成長し続ける姿を見せることだ
との思いで、経験から得た言葉を息子に贈ります。
私に見えている「青空」を「私の言葉」で。
では、本題。
コロナ禍になり、いろいろな情報が出回り、何を信じていいのだかよくわからないという感覚の中、自分の頭で考えることの重要性を改めて思うようになった。
一方で、自分の価値観や判断基準、何がいいと思い、何に違和感を覚えるのかというような、前提となるようなものは何によって規定されているのかも改めて確認してみようと思った。
例えば、
<人生>
「目的」とか「意味」が重要という価値観は何によって埋め込まれた?
「この人生に意味などない」という地点から考えると
何が見えるか?
<世界>
客観的な世界がある。世界は広げたほうがいいとなぜ思うようになった?
「世界なんてない」から考えると何が見える?
<成長>
成長し続けたいとなぜ思うようになった?
成長を目的におくのではなく、結果としての成長ではだめか?
<歴史>
歴史は進歩し続けるものなのか?
<自由>
自由を突き詰めることはできるのか?
こんなことを考えていったら、
やっぱり、独自の思想を組み立てることは難しくて、
まずは今世の中にある「一般的な思想」をまず自分に取り込んで、その上でそれを超えるような仕方でしか考えられないなという結論に至った。
その時ふと、
「守破離」
という言葉が浮かび、「風姿花伝」をちゃんと読んでみようと思った。
結果的に、「守破離」って「風姿花伝」じゃなかったのね^^;
風姿花伝は、「序破急」かとズコッとなったけど、
世阿弥の「花」という考え方は共感するところがある。
花と、面白きと、めづらしきと、これ三つは同じ心
秘すれば花なり
住する所なきを、まづ花と知る
ことさら、この芸、その風を継ぐといへども、
自力より出づる振舞あれば、語にも及びがたし。
その風を得て、心より心に伝ふる花なれば、風姿花伝と名づく
伝統の風を受けて、
自分なりの花を咲かせて、
後世に残していく。
これも「守破離」だなって思う。
20代は、世の中変えてやるくらいの気概を持っていたが、
30代でなんだか心を燃やすことに疲れちゃって
40代で家族ができて、自分と縁がある関係を世界だと思うようになって。
変革から持続へ
成長から成熟へ
世界へ遍く広げるから地域に根付くへ
自身の思想が揺れ動くなか、
「花」という思想を学び、
自分の年齢を重ねていく中で起こる体の変化とそれに応じた花
という視点から、どう世の中を見るかということも考え、実践してみようと思いました。
そして、君へ
君はどんな風を受け
どんな花を咲かせるかな
#この青空を君へ
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