第135話_メメント・モリ-死を想え-
おはようございます。
#この青空を君へ は、
子育てにおいて一番大切なことは
親が成長し続ける姿を見せることだ
との思いで、経験から得た言葉を息子に贈ります。
私に見えている「青空」を「私の言葉」で。
では、本題。
橋爪大三郎さんの「死の講義」を読んで、
死後について改めて考えた。
死んだらどうなるかは超経験的
だから、そこは自由な想像を働かせてられて、
きっと死んだらこうなるから、今をこう生きようと、生き方も定められるのだと感得した。
そういう意味では、わたしは
唯識の考え方がしっくりくるし
これを「信」じたい。
阿頼耶識に過去の行動履歴が蓄積されている
過去とは、悠久の過去
転生して今の自分がいる
その行動履歴は「無記」(善も悪もない)
過去の行動履歴から、現在の行動が起こるが
無記の過去なので、過去に縛られるわけでもなく、いかようにもこれからの行動は変えられる
(善行と悪行は隣り合わせ)
転生も、来世はもっとよい人生を歩みたい(カーストに上がりたい)から
今生で善行を積むという考えというよりは
悠久の過去から阿頼耶識に蓄積(薫習)された
種子(しゅうじ)を今生の自分が預かっているという感覚でいたい。
だから、預かった種子を大切に育てて、
次世代につなぎたい。
だから、たくさん学んで、たくさん経験して、
時には悪戦苦闘しながら、仲間と切磋琢磨したい。
もしかしたら、
来世でもその種子をまた受け取るかもしれないし、
違う種子を受け取るかもしれないし
もう2度と転生なんてないかもしれない。
それは、超経験的で誰にもわからない。
だから、死んだらこうだったらいいなと
この唯識の考え方を「信」じて
生きてみたい。
再現性の及ぶ科学の範囲はもちろん合理的に生きる。それが現代人だ。
ただ、一回性の、科学が及ばない領域は、自分の想像で、自分の選択で、自分の「信」で生きてみたい。
そして、君へ
メメント・モリ-死を想え-
そして、今、ここで、どう生きるかを定めよう。
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