『百年の孤独』の次には
今年7月、ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』(新潮社)が文庫化されたわけだけど、以前から是非文庫化してほしいと思っている作品がある。ロレンス・ダレルの『アレクサンドリア四重奏』(高松雄一訳、河出書房新社)がそれだ。四重奏という名前のとおり、全四巻ある。「ジュスティーヌ」、「バルタザール」、「マウントオリーブ」、「クレア」。一巻から四巻までそれぞれ登場人物の名前が冠されている。装丁も美しく、すぐ手に取れる場所に置いている作品の一つだ。
この作品を読んだのは、数年前。それ以来、今でも作品の余韻が消えない。言語だからこそ可能な作品で、ひとことひとことの選択、情報量の多さにうなり声を上げた。これはもちろん、訳者である高松雄一氏の訳の素晴らしさということでもある。
十代や二十代のころは、ストーリーの面白さを追いかけていたように思う。今もストーリーの面白い作品には出会いたいと思っているのだが、歳を重ねると「作者がどんな言葉で表現するのか」に目がいくようになった。作家ごとの表現の仕方、言葉の選択を楽しんでいる。
パソコンに動画を保存するのと、文章を保存するのとでは、動画のほうが圧倒的に容量を必要とするのだが、『アレクサンドリア四重奏』を読むと、言語表現だからこそ可能な膨大なイメージと無限とも思える情報量に圧倒される。
小説が映像化されることは多々あるが、この作品を映像化することが果たしてできるのだろうか。書かれた言葉を介してしか体感できないイメージや感動が『アレクサンドリア四重奏』にはあると思う。少しでも多くの人に読んでもらいたい作品。いつか文庫化されることを期待しつつ。