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【映画レビュー『正体』】藤井道人×横浜流星が贈る、最も心を揺さぶるヒューマンサスペンス


映画の概要


『正体』は、横浜流星が主演を務め、藤井道人監督がメガホンを取ったサスペンスドラマです。原作は染井為人の同名小説であり、冤罪をテーマに人間の本質を描き出した物語です。


主人公は、未成年の頃に一家殺人事件の犯人として逮捕された鏑木慶一(横浜流星)。彼は死刑判決を受けますが、刑務所からの脱走に成功し、逃亡生活を続けます。名前も身分も偽り、全国を転々としながらも、彼の前には様々な人々が現れ、彼らとの出会いが彼の内面を変えていきます。



見どころ

映画『正体』の最大の見どころは、なんといっても横浜流星の圧巻の演技力です。これまでクールで整った“美しさ”を強調されることが多かった彼ですが、本作ではそのイメージを大きく覆しています。


主人公の鏑木慶一は、冤罪によってすべてを奪われ、死刑判決を受けた男。脱走した後も、警察に追われ続ける日々が続きます。そんな彼は、逃亡の過程で様々な人々と出会い、交流する中で、彼の内面の“本当の姿”が浮き彫りになっていきます。


注目すべきは、彼と出会った人々が「彼は優しい人だ」と口を揃えて語ること。冤罪という理不尽な状況に置かれ、「人を憎む理由が十分にあるはずの彼が、なぜか他人に優しく接する」のです。彼の表情からは、心の葛藤や迷いがにじみ出ており、無言のシーンであってもその「心の声」が観客に届くほどの演技力が光ります。


さらに、逃亡の中で彼が「友達を作る」「恋をする」「お酒を初めて飲む」といった、普通の生活では当たり前にできるはずの体験を、ようやく手に入れていく様子が切なくも美しい。彼が感じた“ささやかな幸せ”が観客の心にも染み渡り、彼に「どうか幸せになってほしい」と願わずにはいられません。


「正しさ」と「人の信念」がぶつかり合う物語


本作は、単なる逃亡劇のサスペンス映画ではなく、「何が正しいのか?」という普遍的な問いが深く描かれた作品です。特に印象的だったのは、登場人物それぞれが抱く「正しさ」のぶつかり合いです。


主人公の鏑木は「自分が冤罪だ」と信じて逃亡しますが、それは法律的には「逃亡犯」以外の何者でもありません。警察や世間から見れば、彼は「罪を認めずに逃げ回る凶悪犯」であり、「悪」であると断定されます。ですが、物語が進むにつれて、彼の「自分の正しさを貫きたい」という信念が観客にもはっきりと伝わってきます。


彼を追う刑事・又貫征吾(山田孝之)もまた、自らの「正しさ」を貫こうとします。彼は警察官としての「公正な判断」を重んじ、逃亡犯は必ず捕まえるという使命感に燃えていますが、同時に、彼の中にも迷いや葛藤が生まれていきます。


また、彼ら以外にも、鏑木と関わる人々の「正しさ」がそれぞれ異なることが興味深いポイントです。鏑木をかくまう者は「人を助けることが正しい」と信じ、通報する者は「社会のルールに従うのが正しい」と考えています。


「正しいことは何か?」という問いが、観客自身にも投げかけられるのが、この映画の最大の魅力です。もし自分が同じ立場に立たされたら、果たしてどうするのか。観客は登場人物の誰かに感情移入し、考えさせられるはずです。


“優しさ”を忘れなかった鏑木の姿に心打たれる


なぜ、鏑木は優しさを忘れなかったのか?

これが本作における最大の問いかけかもしれません。


冤罪によって人生を奪われ、信じていた社会にも裏切られ、普通なら「社会なんてどうでもいい」「人を信じるのがバカらしい」と思ってもおかしくない状況です。しかし、彼は「出会った人々に優しさを向け続ける」のです。


この優しさは、単なる「いい人だから」ではないように感じられます。彼は自分が受けた“理不尽さ”を知っているからこそ、他人に同じことをしたくなかったのかもしれません。


彼が出会う人々は、彼が逃亡犯だと気づかないまま、彼の人間性を見て「優しい人だ」と口にします。この一言が心に刺さります。逃亡犯でありながら、人間として「優しい人」として認識される。これが彼の「本当の正体」なのかもしれません。



まとめ

冤罪により普通の青春を奪われた鏑木が、逃亡の中で初めて感じる“人とのふれあい”。彼の出会う人々が、どんなに短い接点でも彼に優しさを与えるシーンは、観る者の胸を熱くします。

特に横浜流星の演技は圧巻です。一瞬で彼の感情が変化する目の演技、心の底からの笑顔、恋を知る喜び…そのすべてに魅了されます。 もし横浜流星の新しい魅力を知りたいのなら、この映画は絶対に観るべき一作です。


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