正しくばかりは
誰かと話したい気持ちはあるけれど、
誰にと言われれば適当な人が思い浮かばない。
今日心底申し訳なく思った出来事があって、詳細は書かないけど、
これは嘗て自分が若かった頃に年配男性から受けたキモい仕打ちではなかったか、
みたいな言動を、歳食った立場になった自分が全く無自覚無邪気にやってしまっていて愕然とした。
四〇を過ぎたら自分の気持ち悪さを自覚した方が良い、と誰かが言っていて
それを耳にした時には”そんな酷いこと!””謙遜ムーブは次世代の行く道を暗くする、ダメゼッタイ!”と否定的な気持ちで聞いていたのにばっちり我が身の話だった。
自分自身をおばさんになった、とはあんまり思いたくないし平素からあまりグロテスクにならないよう気をつけてはいるつもりだったけれど、自分の目の行き届かないところでどこかしら歪みや捩れが生じてきてしまうのにそれが見えていなかった。この視野の狭まり自体がもう老いの姿なのかもしれない、と悲しい気持ちで今日は考えていた。
嘗て若かったわたしがキモい!と断罪してしまった年配男性たちもきっと自分の歪さを自認できてなかっただけで無邪気に歳食うてしもてはってんやろな、と追想してみるとあんなに手厳しく当たって申し訳ない気持ちにもなる。