詩|遺影の詩
これから毎年
生きていたら誕生月に
遺影を撮ってもらう
ふえていくしわも しみも
美しい刺青のように
誇れるように
そしてうっかり
ほんとの遺影になってしまったら
写真のなかから
みんなのした悪いこと
ぜんぶ許すよ
たとえわたしのこと
忘れちゃったとしても
日記:
明日は好きな写真家さんに遺影を撮ってもらいにいく。
死んだ後どんなふうにいたらいいのかなと考えてみるに
もの言えない存在としての意義を最大限活用し
みんなの懺悔を聞き入れて、
「まぁそういうこともあるやろ」
と言っている顔だったらいいかなと思った
うっかり死んだら好きなように使ってください
(当分はその予定はないです)
先日飲んでる最中に
「不幸の形って千差万別で説明するのがめんどくさい」
という話になった そして
説明したところで理解されるとも限らず
だから不幸なひとは黙るのだ
下腹で静かに燃えたぎる青い炎に薪をくべながら
幸福の形はつるんと単純でわかりやすい
説明がいらない でも
幸不幸がそれぞれの身体から花のように生えていたら
きっと綺麗なのは不幸の方なんじゃない?
その複雑さゆえに
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