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自分の作品に責任を持て!!
こんにちは、先週こちらの作品を観ました。
この映画を観て色々考えさせられました。今回の記事はこの映画の感想というよりかは私の創作に対する意見なのでよろしくお願いします。
・「自分の作品は自慰行為だ〜!」って言って逃げている人が嫌いだ
私も以前、自分の作品に自信がなくて「私のイラストなんてオ○ニーですよ〜」って言っていましたがこちらの映画を観て意見を180度変えましたね。
この映画の主人公の新人脚本家って本当に発言に責任を持っていない。
そのことを先輩のベテラン脚本家のお姉さんに指摘されているんですよね。
例を挙げるとドラマの脚本を担当することになった時、「もうこれで自分は助産師から…なんていうか妊婦になったような感じで…」って感じでコンプラ違反することを言ってしまうんですよね。
だから本作ではとんでもないことを引き起こしていますが…私はこの主人公は私の反面教師だなと思いました。
責任を持っていないんですよね。新人だからってなんでも許される。
これって脚本家だけでなく絵でも漫画でも言えることだと思います。
たとえ自分の快楽の為に作品を作ったとしてもその作品が公開されるなどして人の目に止まれば必ず何か感じる人がいるんですよね。
喜ぶ人もいれば悲しくなる人がいる。つまり受け手側の感情まで責任を持って作品を作る。
その自覚を持っていない人が私含めて創作者には多すぎると思いました…
だからこそ自分の作品を自慰と同じだと言っている人が、たとえネタツイであっても嫌いなんですよ。
自分の快楽の為だけに作品を作って責任を持たずに発表しているなんて創作者としてこの姿勢はどうなんだと思いました。
私も本作を見て以来、襟を正して作品制作をしています。
誰も考え付かなかった、意外な作品を制作するのを中心にしながら。でも人が見てネガティブな印象を与えないように考えています。
でも万人がポジティブ・無関心って訳にはいかないんですよね…そこはもう避けようのないことだと思っています。
・知りたいから書く(描く)
この映画では母親がアルコール依存症のヒロインが主人公と対峙した時こう述べています。
「私はわかりたいから書いているの!」
と
彼女の書く脚本は、実生活をもとにした作品でした。この辛い状況を形にしないと生きていけなかったんでしょう。
私も絵や漫画や小説を創作する時、「私はなぜ、この登場人物が好きなんだろう?」「私はこのシチュエーションから何を学び得たいんだろう」という疑問を抱きながら制作しています。
実際に今、役所広司さんの球体関節人形を作っていてそう思いますね。
役所さんのドールを作るうちに私が思う役所さんのイメージと実際のイメージが違っていたり、新たな魅力に気がついたり。
役所さんのことを粘土を捏ねながらわかっていく感じですね。
多くの人の創作の根源って「相手のことを知りたい、わかりたいから形にする」ということじゃないでしょうか?
遥古代の時代、土偶は女性の体の神秘について知りたかったから、地獄の絵を描いたのはあの世を知りたかったから。
自分の知らないことを見える形にして考え、伝える。
創作活動の根本はそういったことじゃないでしょうか?