【未収録】直木三十五 大阪に於ける諸文豪
芥川龍之介全集の内容見本、最終頁、書簡集見本に、次のやうな文がある。
”大阪堀江の妓僕に曰
油 よ○○○ と云うのがよめますか
僕曰 よめない
妓曰 教えて上げまほか
僕曰 教へてくれ
妓曰 油ハタカシ 夜ハナガシ コマル コマル 大コマル さうだっしゃろ
僕曰 なある程”
神経衰弱が、ひどくつて、成るべく物を書かぬやうにと云はれてゐるが、花柳などの事となると、成るべく書きたいのが、神経衰弱以上の悪い病で、大阪の遊郭で、ある意味を含めた「又病院にさからふか」という言葉があるが、正に神経衰弱に、逆らふのはよくないことである。
文によると、芥川はひどく、この洒落に感心してゐるが、もともと京の舞妓達の使用するところのものであつて、多分この書簡は大正八、九年か十一、二年頃、その後京阪へ行つて可成り遊んでいた芥川君は、その言葉が必ずしも、この女独特の洒落では無いといふ事を発見したにちがひ無いと思ふ。
今日の舞妓の間に、丁度そのころ流行してゐたもう一つの洒落がある。「ああ、大津がえらい雪やわ」といふ言葉である。東京から行つた人は今でも一杯食ふかもしれない。「嘘をつけ」「そやかて見てみなはれえな」といふので、指さす所を見ると、京津電車のイルミネーションで『大津行』
芥川君に感心させたこの女は「○丸」という人である。六、七年前に二十四、五であつたからもう廓にはゐまいが、舞踊――正しく云ふと、藝者手踊の名人で、評判の利口者であつた。芥川君は、この女が可成り気に入つてゐたらしく
「人間には利巧馬鹿と、馬鹿利巧とがある、君はその馬鹿利巧の一人だね」
と、当時よく、僕なんかにも、
「君、馬鹿利巧つてことを知つてゐるか」
と、云って説明したことを、床柱に凭れながら、懇々と説いてゐたものである。南へ行くと、当時は九郎右衛門町の福田屋に僕が行つてゐたので、そこの仲居のお富をつかまへては
「君は利巧利巧だよ」
「え? 何だす、利巧利巧利巧つて、夏売りにくるものだつせ」
「え?」
「氷、氷り、ここりこ」
「だから、君は利巧利巧だよ」
ここの奥座敷で、このお富――今は三津寺筋で席貸をしてゐる――と、南では名妓中の名妓とされてゐる、神戸の土橋氏の愛妾三代鶴とを前にして
「これは君、何に見へる?――え?、鍋蓋で鼠を押さへた所さ」
と、江戸時代の謎画を書いて飽きなかつた。
「これは?――侍の川陥りさ」
「しようむない」
それが飽きると
「痩法師、並んで何とか、寒さかな――君と僕とが似てゐるなんて不愉快だな。宋一と似て、何んとかの、何んとか」
と、二、三十も、その夜巻紙に書いた俳句ができたが、三代鶴もまた芥川くんの好きな女の一人であつた。久しく逢は無い、ひどく按摩の好きな女で、座敷で里見弴君が、しばしば揉まされ、時々僕も御用を仰せつかつて、辟易したものである。
当時は僕が『人間』を経営してゐた時分で、同人の外、菊池、宇野、芥川などといふのと、毎月大阪へ行つては遊んでゐたものである。菊池くんの『慈悲心鳥』が芝居となり『藤十郎の戀』が、大毎の夕刊で評判だつた頃で、この連中も最も遊蕩の盛な頃であつた。
『多情佛心』に出してくる薄命な妓も、当時堀江で里見君に惚れてゐて、僕は手を合されて弱つたものである。不思議にこの女の名は忘れるが、とうとう小雨の降る日、東京へ呼んで、銀座の裏にあつた京屋といふ宿へ、里見くんと一緒に泊めたものである。飲めもしないビールを飲んで寝てしまつたら、夜中に起こす人がある。睡い目を開けると、里見君が
「あつちに行つてくれ」
と、揺り起こしてゐるので、ほい、さうだった、と、ふらふらする脚を踏しめて出かけると。
「枕だ枕だ」
といふので振向くと、里見君は僕の枕を僕の肩の上へ乗せてくれた。手に持てば形がつくものを眠いままに、肩に担いだまま、廊下へ出、夢中で別の室へ入つたが、翌朝その妓が、僕の顔を見てくすくす笑ふので、ふと、思出すと、成る程と思って――今でも考へると可笑しい。
肺病で早世したが、死ぬ間際まで、里見君に逢ひたがつてゐたさうである。尤も、その少し前に、里見君は下阪して逢つたが、有名な浮気者であつただけに、本当に惚れた男を見出すとすぐ死んだのが可哀さうである。その女の実の妹が、北陽で義太夫藝者をしてゐたが、今何うしたか?
久米正雄君も、又当時、矢張り名を忘れてしまつたが、濱寺の日柄喜へ遠出してさる堀江の妓とできたものである。この戀は甚だ呆気無く別れてしまつたらしいが、菊池君と松緑といふ妓との間は可成りつづいてゐた。一人も得られなかつたのは、吉井、宇野、芥川、田中の四人、で、松五郎とか、松旺とかいふ若い綺麗な所へ目をつけてゐて、結局話ができなかつたらしい。
北陽、新町になると、その後、僕がプラトン社にゐた頃の話になつて又新らしいいろいろの話があるし、京都にくると志賀、谷崎の花見小路は吉初の物語になるか、五、六枚といふ註文だから、餘り皆の困らぬ話でやめてをくのに都合がいい。
騒人社 『騒人 当世花柳號 十一月号』昭和二年十一月一日発行より
※なるべく当時のままに収録しておりますが、一部読みやすさを優先し現在の漢字等にしているところがございます。ご了承くださいませ。
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