「丸刈り校則反対行動」は私の生き方の原点

一般的な感覚からすると明らかに変な校則や、学校独自の謎ルールなどを「ブラック校則」と呼んだりしますね。ブラック〇〇という呼び方の是非については、ここでは触れないでおきます。下着の色を教員がチェックする、天然パーマの生徒に直毛にしてくるように命じる、水飲み禁止等々。

基本的に教員というのはバカが多いです。まともな人ほど長く勤められないのではないでしょうか。日本人は何かに管理されるのが好きだよなぁと思いますが、教育が良くないからに違いありません。

今ではさすがにほとんどないでしょうが、私が中学生だった1980年代末頃には、まだ男子丸刈り校則というものがある中学校が結構ありました。都市部を離れるほど、そうだったのではないでしょうか。私が通った公立中学も、丸刈り校則がありました。

小学生の頃の私は長めの髪型で、ちょうど漫画のゲゲゲの鬼太郎のような感じでした。私ほど長い髪の子はあまりいませんでしたが、小学校の卒業が近づくと、一人、また一人と丸刈りにしてくる子が増えてきます。私がいつ丸刈りにしてくるのか、それが周りの関心事の一つであるような雰囲気もありました。

結局、卒業後の春休み中に髪を切ったのですが、そのときの喪失感は今でも忘れられません。心を殺されたとでもいうのか、「結構似合うね」などという周囲の声に力なく笑う自分が、今でも脳裏に浮かんでくるようです。たかが髪の毛、すぐに伸びてくるものだと何度も言われましたが、子どもなりのアイデンティティの喪失でした。

中学生になってからは、何をやるにも意欲がわきませんでした。柔道部へ入学したものの、上下関係がわずらしくてすぐに退部しました。母親は保護者面談のとき担任教員に私のことを、「子どもらしくない、冷めている」と言われたといっていました。そして中学2年生の中頃、私の中の何かがプツンと切れました。私は伸びた丸刈り頭を整髪し、髪を伸ばして登校するようになりました。

めちゃくちゃ怒られるだろうなと思っていたら、最初の頃は不思議なくらい静かでした。教員たちもヘラヘラして、まるで腫れ物にでも触るかのような態度でした。そのうち、生徒の中から「あいつだけ髪を伸ばしても許されている、ずるい」と、執拗に私に攻撃を仕掛けてくる輩が現れ始めます。そこでようやく、教員の一部が私に“指導”を始めるようになったのでした。

極めつけは、先輩たちの卒業式でした。私が2年生のときの3年生にはヤンチャな先輩たちが多くいました。私はそうした先輩たちとの関係は良好でした。中には私を生意気だとみる人もいたようですが、特に目立っている先輩たちにはかわいがられていたので、困ることはありませんでした。

ところが卒業式前に教員がその先輩たちに、「おまえら、卒業式くらいまとまな格好で出席しろ」と言ったとき、先輩たちの一人から「あべを放っているのに、俺らだけに文句言うな」みたいなことを言い返されたらしいのです。

それに対して、教員たちが過剰反応して「卒業式の最中にあいつらがあべに殴りかかったら大変なことになる!」と、勝手に騒ぎ出したのでした。

髪を切れと家に何度も押しかけてくるし、校長室に軟禁されて校長、教頭、PTA会長(神経質そうなメガネ男)、元PTA会長(くわえタバコのオバサン)、生活指導の教員に取り囲まれて「今から床屋へ行け」と迫られたときは、恐怖に震えました。

先輩たちや私の動きは常に監視され、先輩が私に話しかけようと近づいてきただけで、どこからともなくやってきた教員に引き離されました。

最後には卒業式に来ないでくれと言われましたが、私も意地になって出席しました。ただし、若い男性教員の護衛付きで先輩たちの席からはずいぶん離されました。何事もなく卒業式は終了したのですが、その後、自分が3年生になってからというもの、そういうキャラクターでは本来ないけれど、ずいぶん悪ぶって学校生活を送りました。

校則に不満があるけど行動を起こす勇気のない中途半端な連中や、バカな教員たちになめられないための生存戦略です。

もう古い話ですが、このときの経験がつい物事を斜めからみるくせのある、私の原点であるように思います。これからの子どもたちには、私と同じ苦しみを味わってほしくありません。


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