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食べると片付けるは生きる希望だ|『カフネ』阿部暁子
忙しい時ほどコンビニのご飯を食べてる。朝早く家を出て、夜帰ってきて寝る精いっぱいの生活をしているときは、自分の暮らしが乱れていることに気づかない。最後に掃除機をかけたのはいつだっけと、忙しさが落ち着いて家を片付けて回るたび、次こそはどんなに忙しくても料理と掃除と洗濯ができる余裕は持とうと決意するのだけど、また忙しくなると忘れてしまう。生きていくのに大切な土台なのに、疎かにできてしまうのだ。
『カフネ』に登場するせつなは、家事代行サービス会社で働いている。彼女たちは、疲れ切って助けを求められない人たちのところを訪れ、料理を作りおきして、家を片付ける。いくらご飯を食べましょう、しっかり寝ましょうと言葉で伝えても、本当に疲れ切った人には届かない。頭ではわかったとしても、余裕がないのだ。せつなたちは、実際に家事を手助けすることで、温かいご飯を並べ、寝転がれる空間を取り戻す。少しだけ快適になった空間を目の前に作り出して見せることで、生きていてもいいのだ、生きていかなければ、ということを思い出させてくれる。
せつなの言葉はどれも素っ気ないのだけど、暮らしを整えることが生きるためにどれだけ必要か、行動で示しながらまっすぐに伝わってくる。
「未来は暗いかもしれないけど、卵と牛乳と砂糖は、よっぽどのことがない限り世界から消えることはない。あなたは、あなたとお母さんのプリンを、自分の力でいつだって作れる」
母子家庭を訪れ、未来終わってるじゃん、生きてく意味ないじゃんと言い放つ小学5年生の鈴夏に、せつなは黙々とプリンを作ってみせる。生きていく土台は自分で整えることができるのだと、彼女はこんな形で伝える。それはお節介や同情から出る薄っぺらい言葉とは桁違いの早さと重さを持って相手に届く。手伝ってあげるだけでは終わらない自分自身でこれからはメンテナンスできるように、しっかりと勇気を手渡してから去るのだ。
それは生きのびるための希望になる。そして自分で自分を支えられるようになったら、今度は別のひとに手を差し伸べることができるようになる。人を助けると、生きていてもいいのだと思えてくる。「カフネ」のサービスは、生きる希望のバトンをつないでいくのだと思う。せつなに部屋を整えられて、一緒に活動をするようになり、人を手伝うことを通して自分のことも大切にし始めた薫子が、今度はせつなを助けるため走り出したように。
目の前のことをやっつけるのに必死で、生きることを大切にする余裕がない人に、この本を届けたいと思う。そして横に座って、温かいごはんを一緒に食べたいと思う。