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なぜZEPPELINは破産したのか?第1話

2005年より約15年間続いたZEPPELINは7月1日に破産を申告しました。

主な理由は2020年度4月からコロナを機にARを活用したEC事業へ転換したことですが、破産に至るまでに多くの出来事や失敗をしてきたため、その経緯をこちらのブログにて書き綴っていきます。

当初はコロナを機にEC事業への転換を行った『2020年4月』からの話を書こうと考えていたのですが、経緯の分かりやすさのため、『ZEPPELIN創業期』の話とさらに一年前の『2019年4月』からの話を具体的に書いてみたいと思います。

この一連の破産関連のブログについては下記の流れでブログにまとめていこうと思います。

〜ZEPPELIN創業とその後の15年間
①:大規模リストラとそこからの大逆転

②:コロナでの事業転換とキャッシュアウトの危機
③:大企業との提携失敗と事業ピボット
④:VCからの資金調達失敗
⑤:クラウドファンディングの失敗と破産申告

今回は「ZEPPELIN創業とその後の15年間」と「大規模リストラとそこからの大逆転」について書きます。

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アートボード – 2

大学卒業後にSAMSUNGへ入社

2001年、大学3年生の冬になると周りの友達は就職活動をはじめました。
大学内でもなかなか人付き合いがうまくできなかったわたしは、自分が会社内で働いているイメージが生まれず、就職する気持ちが沸かなかっため、卒業したらフリーターで生きていくのだろうな。と考えていました。

そんな時に、当時日本ではまだ無名だった韓国のSAMSUNGと一緒に、UIUXの産学共同プロジェクトを行う機会があり、韓国のSAMSUNG本社に行くことがあったのです。

SAMSUNG本社でトップダウンで物事が素早く決まっていく文化を目の当たりにしたことと、ヨーロッパをはじめグローバルに携帯電話を販売しており、Nokiaに次いで2位の携帯電話販売台数だったことと、SONYの売上を抜いた事がニュースになっていた頃でもあり、強い興味が生まれました。

当時SAMSUNG会長のデザイン顧問をやっていた教授に、SAMSUNGで働きたい旨を伝えたところ、教授からの口添えと会長の鶴の一声で、韓国のSAMSUNGデザイン部への入社が決まりました。

バックパックひとつ持って韓国のサムスン本社へ向かったのですが、受付の方が私のことを把握しておらず、何時間待てども返事がないため、SAMSUNGに本当に入社できるのか不安な中、受付で待つことになりました。

日も暮れ始めた頃に、ようやく会長秘書が降りてきて、オフィスへ入ることができた時は、心底ホッとしたことを覚えています。

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削られてしまったUIUXのプレゼン

韓国での生活は、初めて異文化の中で暮らすこともあり、エキサイティングなものでしたが、こと仕事に関していえば、当時はまだ誰もUIUXについて知らなかった時代です。

韓国のSAMSUNGでさえもその重要性について認知しておらず、ハードウェアのカッコよさばかりが製品の価値を決めると考えられていました。

その製品のソフトウェア(UIUX)によってできる「価値ある体験」の方が重要になる時代が来ることを、同僚や上司に何度も説いたのですが、「一体何を言っているんだろう。。」という反応しか得られず、全く伝わらずにとても悔しい思いをしていました。

ある時、社長向けに自分自身で設計した携帯電話のプレゼンテーションを行う機会がありました。

UIUXの重要さを伝えたかった私は、ハードウェアの見た目だけではなく、ディスプレイ内のUIUXのデザインまでを入念に準備を進めていました。

ところが、プレゼン前日に上司から一言、「UIUX部分は必要ない、削れ」と言われ、大きく落胆したのを覚えています。

当時はそれぐらいUIUXというものは価値が感じられないものであり、社長にプレゼンするには、邪魔なものだと考えられてしまったのです。

このような歯痒い経験を何度か繰り返したことで、

「どうしても伝わらないのであれば、自分でやるしかない」。

そう考え、韓国の渡航から2年たった頃にSAMSUNGを辞めました。
そして、日本に戻ってきて立ち上げたのがZEPPELINです。

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自社事業への利益投下と失敗の連続

当然ながら、日本に帰国してもUIUXの仕事はあまりなく、ウェブ制作と携帯電話(いわゆるガラケー)の画面のデザインをやりながら少しづつクライアントを増やしていきました。

大企業からの受注の実績が増えてことで売上は伸びましたが、順風満帆とはいかず、社員の大量離脱などベンチャーにありがちなハードシングスを様々経験してきました。

詳しいことは以前NewsPicksに出た時のこちらの記事に詳しく書いてあります。

この頃から受託で稼いできた利益を新しい自社事業に投下しては失敗をする、ということを何度も繰り返してきました。

例えば、自社サービス発表のための海外の展示会に、全社員の4割近くの社員をアメリカへ連れて行ったこともありました。
2週間もの間日本を空けてしまっったため、残った社員に大きな負担をかけてしまったことにより、その後社員が反発して辞めていく原因となりました。

そのような失敗を繰り返しながらも懲りずに、2019年にはTikTokのような短い秒数の動画をシェアできるサービスの開発を行っていましたが、ここから破産に至るまで怒涛のような日々が押し寄せます。

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アートボード – 3

人生初めての大規模リストラ

2019年度(2020年3月期)は受託事業のさらなる拡大。加えて、動画シェアサービスの事業拡大が目標で始まりました。

しかしながら、蓋を開けてみれば、受託事業は、4月200万円、5月800万円という結果となり、昨年度比で売上がほぼ立ちませんでした。

その当時の月の経費が約3,000万円のため、大幅な赤字です。

当時のわたしを振り返ると、週に一度開催していた全社員集会で、「みんなと一緒に仕事がしたい、なんとかこのピンチを切り抜けたい。」と泣いて伝えたこともありました。

6月は、受託事業でなんとか3,800万円の売上を計上したものの、7月以降の売上がまったく不透明だったので、ZEPPELIN初のリストラを検討することになったのです。

これは当時いた半分の社員に辞めてもらう必要があるという大変厳しいものでした。

当然、動画シェアサービスは売上が立たないために継続できる余裕もなく、社員の提案により、2020年の6月には事業自体を完全に中止することとなりました。

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日本ではリストラと言っても外国のように、すぐに社員を解雇できません。
なぜなら日本の法律では社員は手厚く守られていて、解雇はいくつかの段階を経た最終手段としてしか使うことができないからです。

そのため弁護士とも相談を繰り返した上で、早期退職制度を設けて、リストラを実施しました。社員が自分自身の意思として退職をしてもらうための制度です。

リストラ前の社員構成は、受託事業に携わる営業やデザイナーが約20人、バックオフィスが約10名、動画シェアサービスに関わるエンジニアなどが約10名の総勢40人という構成でしたが、この半数の社員に辞めてもらう必要があったのです。

8月を早期退職月間とし、人事が社員一人一人と話をして、退職を促すというプロセスで行いました。

社内では、毎日誰が辞めるか分からない中、一つのオフィスの中で仕事をする日々が続きます。翌日会社に来ると、また一つ席が空いている。という日々です。

半数近くの社員に早期退職の話をしながら、同時に売上を上げて行かなければいけないという状態が数ヶ月続きました。

同じ目標と未来に向かって進もうとしていた社員が抜けていくことに耐えられずに、大きなストレスを抱え、辞めていく社員もいました。最終的には11月時点で社員数が23人になったため、半数近くの社員が辞めていったことになります。

当時の私はこの時が自分の経験上で最も苦しい時期だと考えていました。
コロナを機にもっと苦しいことになることも知らずに。

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リストラから大逆転、売上が倍増

リストラによる精神的なダメージやストレスは大きく、大量の社員が辞めていったことにより一時的に社内の雰囲気は暗くなりました。

しかし、受託事業に関わっていなかった社員やZEPPELINの文化に合わず成果を出せていない社員が辞めたことにより、コミュニケーションの速度は断然早く、劇的にスムーズになりました。

これによって、社員の動きが速まり、顧客への価値提供の意識も整ったため、組織が活性化され強くなりました。

これは私にとってリストラを経験するまでは分からなかったことでした。

さらに、速くなったコミュニケーションを最大限生かすため、営業やマーケティング、そして採用を徹底的に組織化しました。採用については、必要な人材を徹底的に見極め、受託事業の人材の採用のみに絞りました。

リストラ後も残ったエンジニアにはARなどの様々な先端テクノロジーのデモ作りに集中してもらいました。これにより、デザイン力だけではなく、デザインと先端テクノロジーが融合した組織となり、これまでよりも大きな価値を提供できるようになりました。

このような取り組みのおかげか、多くの新規顧客を開拓することができはじめ、さらに、営業メンバーを増やし、営業チームも組織化したことで売上へ繋がりました。

営業とマーケティングをつないで、細かな部分までをプロセス化し、日々数値で成績を追える組織に生まれ変わりました。毎週売上が増え、前月の売上や前週の売上を大きく超えて行きます。

2019年4月には月の売上が200万円と落ち込んでいた会社が、最終的には月6000万円近くの売上を計上できる組織へと変わったのです。

この結果として、最終的に年間で前年度の2倍(約4億円)近くの売上を計上するという大逆転の年になりました。

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新型コロナウイルスの拡大

2020年の3月末になると、世界的に新型コロナウイルスが拡大し始めました。ニューヨークで感染が拡大しロックダウンされ、日本も緊急事態宣言が発令されるニュースが日々流れていたのがこの時期です。

前年度比2倍の売上を喜ぶ暇もなく、ZEPPELINも対応を迫られることになります。

そして、この時に今考えれば無謀としか思えない判断を下します。

わたしは受託事業をやめて、それまで一度もやったことのないEC事業に『全社的』に集中するように舵を切ったのです。

売上増加の勢いそのままに採用した社員数は(派遣社員も含めると)80名近くまで増えていました。

受託事業を止めるということは確実な売上がなくなることであり、80名もの社員を抱えて新しい事業にチャレンジするなど狂気の沙汰ですが、その当時は大真面目に考え、客観的かつ合理的な選択と信じ突き進みました。

コロナが拡大していく中で、コロナ禍の社会にとって役に立つことをやりたいという想いが強くなり、盲目的に突き進んでしまいます。

ここからわたし自身が人生で最も苦しい1年間を送り、過去15年間と比べ物にならないほど数々の失敗を繰り返します。

その末に破産に至るのですが、詳しくはまた次のブログにて書き綴りたいと思います。

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次回は「コロナでの事業転換とキャッシュアウトの危機」となります↓。


プロローグ:ZEPPELIN創業とその後の15年間
①:大規模リストラとそこからの大逆転

②:コロナでの事業転換とキャッシュアウトの危機
③:大企業との提携失敗と事業ピボット
④:VCからの資金調達失敗
⑤:クラウドファンディングの失敗と破産申告

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