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実証研究紹介16:なぜ公務員は辞めるのか?

国際的な学術誌は、私たちの社会が直面する課題にどのような新たな視点を提供しているでしょうか?本ページでは、私の専門分野を中心に、最新の社会科学研究の成果をご紹介します。この取り組みを始めたのは、日本の政策議論や論壇で、こうした国際的な実証・理論研究があまり注目されていないと感じたからです。これらの研究は、目の前の課題に即効性のある解決策を提供するものではありませんが、問題と解決策を体系的に考察するための重要な示唆を含んでいます。

例えば、こんな疑問を考えてみましょう:

  • 公務員の離職が増えると、私たちの生活にはどのような影響があるでしょうか?

  • より多く、社会のために尽くしたいと思う人に公務員になってもらうにはどうしたらよいでしょうか?

  • そうした公務員の離職を防ぐにはどうしたらよいでしょうか?

日本ではあまり報道されていませんが、国際的な査読誌ではこうした問題解決のヒントとなるような研究が日々出版され、積み重なっています。時間の制約上、詳細な内容紹介や翻訳はできませんが、この投稿が皆様の知的好奟心を刺激し、さらなる探求のきっかけとなれば幸いです。最新の学術成果を通じて、日本が直面する課題に対する新たな視点を提供できれば幸いです。今回は公務員の離職について考察します。

公務員の早期退職や、霞が関での人材不足が注目を集めていますが、この問題の本質をどう捉えるべきでしょうか?国際比較で見ると、日本の公務員、特に国家公務員の勤務環境は決して良いとは言えません。しかし、新聞や雑誌の記事では、公務員志願者数の減少や国会会期中の待機時間問題など、表面的な問題にばかり焦点が当たっているようです。

しかし、次のようにより大きな視点から問題を考えていく必要があります:
- そもそも何が公務員の退職・離職を促すのでしょうか?
- どういった環境や状況で退職・離職(意向)が増加しやすいのでしょうか?
- どのような人が退職・離職(意向)をしやすいのでしょうか?

実は、国際的な学術誌では1990年代以降、公務員の離職に関する研究が蓄積されてきています。これらの研究は、私たちに新たな視点を提供してくれるかもしれません。

従業員の離職研究は従来、民間企業を対象とした研究が盛んでした。しかし、1980年代のアメリカで連保政府公務員の削減や賃金削減、大きな政府に対する抵抗感の拡大等から、連邦政府で能力のある人材を雇い、雇用を維持することが難しくなり、人材に対する危機感が高まり、1990年以降公務員の離職研究が発展していきました(Pitts et al. 2011)。それ以降、政府で職員をいかにして引き留めるか(=辞めさせない)は、研究者と実務者の一貫した興味関心となってきました( Lee 2017)。

研究は主に、公務員の離職・退職要因を分析するものと、公務員の離職・退職が行政組織の活動・業績にどのような影響を与えるのかの2つが見られます。圧倒的に多数の研究がアメリカ政府を対象としてきましたが、近年になって少しずつ韓国、イギリス、北欧等を対象とする研究が見られるようになりました (社会福祉等の分野でソーシャルワーカーを対象とした離職研究はこれよりも多様な国を研究対象にしています。文末の参考文献参照)。

前者について、厳密な因果関係の特定や因果推論がデータの制約上難しいトピックでもあることから、実際の退職者を扱うというより、多くの研究は公務員へのサーベイデータを用いて、どのような要因が公務員の離職意向に繋がっているのか( turnover intention)という分析方法を用いています。しかし、近年では行政データ等の収集のハードルが以前と比べて下がっていて、実際の人事データを用いた研究も見られるようになっています。

先行研究は主に、1)外部環境要因、2)個人的な要因、3)組織要因、組織と個人の関係性に関する要因を、離職意向と相関性の高い要因として特定してきました。外部環境要因としては、地域での失業率の高さ、労働市場での競合相手の有無が挙げられ、個人的な要因としては、人種、性別、年齢等が特定されてきました。女性やマイノリティーである場合には離職意向が高いとする研究結果もありますが、実際には、職種、昇進機会、賃金格差等の他の要因も加わり因果関係は複雑で、近年では必ずしも本人の性別や人種だけではなく、職場の上司の性別や人種の一致・不一致も離職意向に影響を与えるという研究結果が出ています( Grissom & Keiser 2011; Grissom et al. 2012). 

組織要因としては、人材管理の方法が離職意向に影響を与えることが分かってきています。例えば、公務員はパブリックサービスモチベーション(公共のために役立ちたいと思う動機)を動機として公務に就きやすいという研究結果が良く知られており、賃金そのものが、民間企業の従業員ほど、離職意向に繋がる主要因とはなっていないようです。しかし、職場に対する満足度の低さは離職意向に繋がりやすく、不満足に繋がらない適切なレベルの賃金が必要です(Sowa 2022)。

職場環境に関して、職場のレッドテープ(規則が細かすぎ、煩雑な手続きが多いこと)等の事務手続きは離職意向を高める、組織的公正(organizational justice=報酬や昇進、手続き等が公平になされているか)等が研究されています。例えば、職場の規則が一貫性がある、目的と合致している、論理的、合理的と職員が認識している場合、離職意向は低いという研究結果(Kaufmann et al. 2022)、組織的公正が守られていると感じる場合、離職意向は低くなりやすい(Rubin 2009)等の研究結果があります。

Whitford & Lee (2014)はアメリカ連邦政府職員のサーベイデータを用い、従業員が職場で改善のために意見を言いやすい雰囲気と感じるかどうか、上司がやる気を引き出すように工夫をしているかどうか、賃金に対する満足度、等が離職意向に繋がる要因として分析しています。

公務員個人のパブリックサービスモチベーション(公共のために役立ちたいと思う動機)の高さによって、離職意向は左右されるかどうかという研究もいくつか行われています。

日本でも官僚と政治家の関係は昔から新聞記事や政治過程研究等で記述的な説明が多かったですが、国際的な査読誌での議論に目を向けると、公務員組織に対する政治的な影響力の高まりが離職意向に与える影響、政権交代が実際の公務員の離職にどの程度繋がっているか等の実証研究がいくつか見られます。

例えば、Richardson(2019)のアメリカ公務員データを使った研究では勤務する組織で政治的な影響力が高まっていると思うほど、離職意向が高くなり、専門性を磨く努力をしなくなる傾向があることが分かっています。

Bertelli & Lewis (2012)はアメリカ連邦政府の上級公務員サーベイデータを用い、特定の官庁でしか使えない技術や知識を身に着けている職員は離職意向が低い、外部での転職可能性が高い場合は離職意向が高い、政治任用職員の影響力が高いと感じる場合(プロパー職員と比較して)、離職意向が高くなるという結果を示しています。

Kim et al. (2021)は、離職意向ではありませんが、ヨーロッパ17か国の幹部公務員のデータを使い、政治家が人事や業務に介入していると思う度合が高いほど、職場へのコミットメントや満足度が低いという結果を示しています。

チリの地方自治体データを使った研究では、官僚機構への政治的影響力が強くなると、官僚の採用や研修、トレーニング、業績評価に悪影響があり、結果として組織パフォーマンスが下がるという結果が出ています(Fuenzalida & Riccucci  2018)。

Dahlström & Mikael Holmgren (2017)は、1960-2014年のデータを使い、スウェーデンのように官僚・公務員の中立性が高く、政治による行政への介入を防ぐ仕組みが整えられている国でも、政権交代後には行政機関の長の離職(入れ替え)が生じやすいことを実証しています。

新聞記事や論壇ではエピソードや事例中心に論じられることが多い、公務員の離職要因、政治との関係性ですが、査読誌を中心とした理論・実証研究の世界では研究が積み重ねつつあります。これまでの研究結果は官民の垣根が低い、比較的に開放型の公務員制度を採用しているアメリカが中心で、終身雇用中心の日本とは公務員制度は違いますが、離職要因を考えるにあたり、ヒントになる点は多いかと思います。

以下、いくつかの理論・実証研究を記載します。

アメリカを中心とした過去20年間程度の官僚の自発的退職の要因についての研究をまとめた論文。環境、個人的、組織的要因に分類して説明

Sowa, Jessica. 2021. Voluntary turnover in public organisations. In Research Handbook on HRM in the Public Sector, edited by Bram Steijn and Eva Knies. Cheltenham, UK: Edward Elgar Publishing Limited. link 

チリの地方自治体データを使った研究。官僚機構への政治的影響力が強くなると、官僚の採用や研修、トレーニング、業績評価に悪影響があり、結果として組織パフォーマンスが下がるという結果

Fuenzalida, Javier, and Norma M Riccucci. 2019. "The effects of politicization on performance: the mediating role of HRM practices." Review of Public Personnel Administration 39 (4):544-569. link

Bertelli, Anthony M, and David E Lewis. 2012. "Policy influence, agency-specific expertise, and exit in the federal service." Journal of Public Administration Research and Theory 23 (2):223-245. link

Dahlström, Carl, and Mikael Holmgren. 2019. "The political dynamics of bureaucratic turnover." British Journal of Political Science 49 (3):823-836. link

Doherty, Kathleen M, et al. 2019. "Presidential control and turnover in regulatory personnel." Administration & Society 51 (10):1606-1630. link

Doherty, Kathleen M, et al. 2019. "Executive control and turnover in the senior executive service." Journal of Public Administration Research and Theory 29 (2):159-174. link

Kaufmann, Wesley, et al. 2022. "Can effective organizational rules keep employees from leaving? a study of green tape and turnover intention." Public Management Review:1-22. link 

Kim, Hyunjung, et al. 2021. "Does politicization influence senior public officials’ work attitudes? Different forms and effects of politicization in the civil service." Public Management Review:1-24. link

Pitts, David, et al. 2011. "So hard to say goodbye? Turnover intention among US federal employees." Public administration review 71 (5):751-760. link

Richardson, Mark D. 2019. "Politicization and expertise: Exit, effort, and investment." The Journal of Politics 81 (3):878-891. link 

Whitford, Andrew B, and Soo-Young Lee. 2014. "Exit, voice, and loyalty with multiple exit options: Evidence from the US federal workforce." Journal of Public Administration Research and Theory 25 (2):373-398. link

社会福祉分野でのソーシャルワーカー等の離職意向についてのシステマティックレビュー、メタ分析論文

Kim, H., & Kao, D. (2014). A meta-analysis of turnover intention predictors among US child welfare workers. Children and Youth Services Review, 47, 214-223. link

DePanfilis, D., & Zlotnik, J. L. (2008). Retention of front-line staff in child welfare: A systematic review of research. Children and Youth Services Review, 30(9), 995-1008. link

Webb, C. M., & Carpenter, J. (2012). What can be done to promote the retention of social workers? A systematic review of interventions. British journal of social work, 42(7), 1235-1255. link

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