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『聖闘士星矢:The Beginning』がはじまらなかった理由
『Knights of the Zodiac』★・・・。
IMDB | Wikipedia | Rotten Tomatoes
これは…脚色と脚本に罪がある。演出も、結果的にその尾を引いている。つまりは、それらを束ねるプロデュース面の欠損が決定的。
実のところ、主要なキャスティング、CG全般、そしてアクションはそれほど見劣りしない。真剣佑は、ともすればロロノア・ゾロ役よりもサマになっているし、ショーン・ビーン、ファムケ・ヤンセン、マーク・ダカスコスのパフォーマンスにも安心感がある。マディソン・アイズマンの愛嬌も魅力的。率直に言ってかわいい。CGにはプラクティカルとCGの境界線がはっきりしているショットが多いため悪目立ちする使い方も目立つが、メリハリの効いたアクションとの相性は決して悪くない。いや、むしろ良い。
ところが、その他のキャスティングおよびキャラクターの組み合わせが悲劇的だ。ニック・スタール演じるカシオスが役回りを増長したわりには、フェニックス一輝や魔鈴などに脈絡が足らず、形だけの通過点、あるいは終着点になっている。尺の割き方が細切れだ。
キャラクターたちに血肉が通っていないから、パフォーマンスの良し悪しを語る以前の話でもある。プロットを転がす以上の厚みがなく、追いかける価値を感じられない。
そこへトドメを刺すのが、聖衣などをはじめとした美術だろう。顔を覆うことなどでCGの粗は隠せるが…アテナの髪色の変化や衣装も含め、原作からの翻案で取り違えた要素は多い。
脚本は、脚色の方向性を鑑みるに、より尺を割いて注力できた領域もあっただろう。デク人形たちに説明セリフの応酬をさせる前に、まずは星矢、あるいはアテナ=シエナに血を通わせる努力が必要だった。主軸の内面により踏み込む思い切りがない構成は、コンセプトレベルでは興味深いキャラクターたちの応酬を退屈にした。
「神の受け皿を受け取った資産家」「その力に恐怖して我が子を殺めようとする資産家の妻」「妙に強い資産家の用心棒」「金にならないファイターを異常なほど嫌う金網デスマッチのオーガナイザー」「本編には登場しきらないアイテム(黄金聖衣)を欲しがる謎の右腕」「どう生活しているのか不思議なトレーナー」。スクリーンタイムを分け合うにはコンテクスト(文脈)が多すぎる。
原作元との距離感が近いだけに、すべてを押し込む政治が働いたのなら、それを御せなかったこと。あるいは物語への感覚値が鈍い指揮者が仇となったこと。あるいはその両方が導いた結果だと憂うのが順当。
それでも、この制作規模で、このタイトルを公開にこぎつけたことは、まぎれもない功績。次へとつながる糧となるかが肝か。
(鑑賞日:2023年10月23日@機内)