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Pop-up Storeにみる儚さのデザイン

最近ではpop-up storeが増えているとともに、期間も、数日〜数週間から、3ヶ月から〜12ヶ月程度にまで長くなる傾向にあるという。

同時にこれまでは体験型ブースとしてタッチポイントの役割を担うものだったpop-up storeの役割は、もう少しブランド全体に主要なインパクトを与えるものになってきているという。

これはどういう変化なのだろう。

僕がずっと、いまだに行きたいものの一つに、かつてのnendoがスターバックスと行ったポップアップがある。本を選ぶと、それに合わせたコーヒーが飲める、というようなものだった。いけなかった残念さが、ずっと付いて回る。

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考えてみればそれ以来、頻繁にnendoというワードを検索し、イベントやポップアップを見逃していないかチェックするようになった。

「消えてしまう」ということが大事なのだろう。

ディズニーランドには、いつか行けばいいやという気持ちが常にある。しかしパレードが魅力的なときには「今のうちに行かないと」と具体的なスケジューリングを始められる。あるいは美術館もそれに近いかもしれない。常設展だけならいつでもいけるが、企画展は時期が決まっている。21_21 DESIGN SIGHTや新国立やギャラリー間をこの一年で何度訪れたことかわからない。

pop-up storeは、短期的な取り組みとすることでよりエッジの効いたショップ展開やコンセプトを可能にするとともに「消えてしまう」ということによって、人を強く惹きつける。

消えてしまうからこそ、起きていることに注視させる。2度と行けないかもしれないからこそ、写真を撮らなければいけないと思う。

都市のブランドと共鳴するpop-up store

pop-up storeはもうひとつの儚さをもつ。移ろうことができるのだ。

老舗百貨店のBloomingdale’sは、ニューヨーク、LA、サンフランシスコの店舗でCarouselというポップインスペースを展開している。ここでは商品とデザインが二ヶ月で入れ替わる。

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しかし、pop-up storeの中心的な役割はむしろ、ブランドの価値と都市のブランディングをうまくミックスさせることができるという点にあるのではないかという気もする。

例えばスターバックスがクリエイティブでエッジの効いたポップストアを東京の人形町、金沢の東茶屋街などに続けて出したらそれだけで意味がある。

長期的な運営となると収益面からも色々と難しくなるところもあるが、短期ならば都合よくブランドを活用できる。逆に、ブランドも何もない街は、pop-up storeを厳選して誘致することで、展覧会会場のような街づくりをできうる。

不安定な社会の中で、終身雇用をあまり選択肢ないのとおんなじで、いつまでもいつまでもそこにとどまるよりむしろ、すぐに離れることを前提に作りつつ、期間限定というブーストを半永久的に使うために土地も転々とする。

場所を変えることの効果は他にもある。

それはユーザーに次はどこに出るのだろう?という期待を与えることだ。同じ場所であれば、そこに行く体験は慣れてしまって、時には退屈なものになりがちである。例えば21_21 DESIGN SIGHTに行くまでの道中で、もはやワクワクすることはない。

しかしpop-up storeの場所が様々なら、それはそのお店だけでなく、お店を訪れるという体験までもを新鮮で魅力あるものにしてくれる。

場所を転々とするポップアップストアは、様々な場所で注意の糸をからめとりながら、少しずつ面的な展開を広げていくことができるようになるのだろう。

まとめ

1.Pop up storeは消えてしまうことで人の注意を惹きつける。

2.Pop up storeは土地を移ろうことができるために、様々な土地のブランドをつなげつつ、ショップへの道中すら豊かなUXに組み込むことができる。

この2つの特徴は、タクティカルアーバニズム的でもあるような気さえする。常設がメインストリームである建築の文脈の中で、仮設性を礼賛しつつ、そのことによってユーザーの参画をより受け入れることができるのである。

ときにはPop up storeを作る行為がユーザーに与えられてもいい。期限つきだからこそ、より個別に合わせてユーザーとブランドがともにつくりあげ、そうした取り組みを通して、ユーザーが愛着をもてるブランドを作っていくこともできるのではないかと思う。

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石田 康平
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