私が思うエンタメ考察って何なのかって話

ファンボックスと並行した更新を考えるうえでちょっとこちらにも記事を転載してみています。
よろしければ反応など頂けると幸い。

先日insideというゲームをプレイして、
雰囲気とかはすごい好きなんですが、結局ハマりきらずという感じでした。

割と苦手なんですよね、ああいう文字情報が無いゲーム性。
ゆめにっきとかもそうなんです。
世界観とかは大好きだけど、没入感を高めきれないというか良い悪いではなく体に合っていないというか。
たぶんあまり合わないだろうなぁとは思いつつ、モチーフはすごい好きだろうなという事でセールで購入してプレイしたのですが、まぁ予想通りと言えばそういう感じです。
隠しエンディングもあるとのことなのでそちらも触れてみて印象が変わってくるかどうか。

今回は私が好きなゲームやアニメ、映画の考察とは何か、という部分についてお話しできればと。

inside、不可解な部分の多いゲームで考察などが盛んなゲームではあるんですが、私個人でいうと考察はきついかなぁ……と感じたゲームでもあります。
厳密に言えばむっちゃ難しい。

考察とはある程度確定している事項から導き出される推論です。
推論なので事実を確定させるものでもなく事実から考えられそうな事柄を列挙していくような感じですね。
でも、こういった文字情報のないゲームって見たことから考えるという事になりどうしても考察ではなく妄想的なものになりがちです。
考察を行う場合それをサポートできるゲーム内の確定要素を集めていくことになるんですが、それが確定で発生している出来事かを示すことが難しいんですよね。
簡単に言えばAが行われたからBが起こったという関係性が作中で描写されればそこに何らかの事実関係が生まれます。
説明が無くてもそれが複数回繰り返されればより事実としての強度は上がります。
それを端的に事実化するのがAを行うとBが起きるという説明文章です。
(もちろん文章形式であっても情報が不足していたり文章そのものがフェイクだったりといったことは多々ありますが)

世の中でよく言われるエンタメ考察の多くが実際はプレイヤーの妄想や想像である場合が多いです。
○○のメタファーとか○○は何を意味しているとか直接的な関係性のない事物を結びつけて考える考察の多くは基本的にはその考察を行っている人物の創作であり、厳密には考察というものとは少し離れていると考えています。
勿論それが悪いとかそういう話ではなくて私の好きな考察要素とは純粋に違うものだという話です。
作品を好きな人が作品について考えるということは一律で価値があり尊いものです。


見る側に考えることを要求する作品というのも種類があります。
答えが明確に描写されないものであっても、おぼろげな答えに対しての輪郭があり見る人がそこに向けて考えてその輪郭を濃くしていくタイプの作品と、本当に見る側に投げる形で自由に解釈してください、というタイプです。
どちらもよいですし、どちらも好きなんですが、
より考察という意味で楽しいのは前者ですね。

何度でも擦っていきますがbloodborneとはまさに考察して楽しいゲームでした。
あらゆるものが不確定で、それでいて隠されている秘匿が見え隠れしている。
答えにたどり着こうと考えても、その前提が実は幻や夢の類なのではないかと疑いが生まれ、いつまでも霧の晴れることのないゲーム。
その良さを確固たるものにしているのが公式が口を閉ざしていることですね。
このゲームの設定はこうなっているんですよ!!
といったビジネスを一切することなく口を閉ざし、秘匿を秘匿のままに維持しています。


勿論考察をする過程でこうだったらいいな、こういう解釈もできるなという妄想が入り込みそれが入り混じることも多々あります。
自分もそういった切り分けが出来ているわけではないので結局のところ好きなエンタメについて考えるという尊い行動を讃えているにすぎません。
何よりも好きなエンタメについて考えるという行動はそこに喜びを生み、繋がりを生み、あるいは切磋琢磨を生み、より作品の価値を高めます。

皆さんもぜひ好きな作品について考えましょう。

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