あのリュウキュウイノシシは、姉を殺めた僕の夢を見るか?
──その時、
一匹のイノシシが突然茂みの奥から姿を現し、
いま正に、“姉”の息の根を止めた僕の前に、
まだ拙い足を踏張り立ちはだかっていたのです。
序章:狩猟をやってみたいと思い始めたのは、いつからだったか。
一番印象深い記憶として思い出すのは大学時代。
中国のウイグル自治区を訪れ、道端で羊を解体するおっちゃんに出くわした時、そのあまりに滑らかな手捌きに「これは羊も幸せやわ」と、思わず笑みがこぼれてしまったことを、覚えています。
それからか「食べることは毎日するのに、殺めることは全くしない」都会の暮らしに、
違和感というか不自然さみたいなものを感じるようになっていったんだと思います──。
2021年の離島暮らしでは、
野菜や魚の“いのちをいただく”貴重な経験ができましたが、
狩猟における“いのちをいただく”は、正直、ちょっと種類が違いました。
だから「誰しもやってみた方がいい」とは、今でも簡単には言えません──
第一章:僕は、まったくもって、油断していた。
──罠を仕掛けたのは、12月20日。
狩猟をやってみたいという僕の想いに応え、沖縄北部のあるカフェのオーナーが、敷地を使わせてくださったのです。
「はじめてにしては上出来かな」
しかしどれだけ準備しようとも、狩猟は百発百中とはいきません。
まして初心者となれば尚更です。
ところが──
オーナーの計らいで既に餌付けが済んでいたこともあってか、なんとその二日後には、一頭のイノシシがかかっていたのでした……!
最初のチャレンジで、もう獲れてしまった……😋
「生け捕りにしてから〆るのが一番おいしく、かつ、イノシシの苦しみを最小限に留めることができる」と聞いていた僕は、獲れたイノシシがことのほか小さかったこともあり、素手での捕獲を試みます。
一歩ずつ、気づかれないように接近し、着実に間合いを詰める。
イノシシの左前足にかかった罠は、約2mのワイヤーを通して木の幹に結え付けられているため、このイノシシは半径2mしか動けない。
だからその外にいればだいじょ……
「ガシャン!!!」
……!!???
──それが足を千切ることも厭わぬ勢いで僕に向けられた突進だったと気づく頃には、そのイノシシは既に2度目の進撃に向けて“助走”を取っていたのです。
「──ガシャン!!!フゴッ!フゴッ!フウゥウウウウ……!!!」
冗談の世界の「殺す」しか知らなかった僕は、生き死にの世界に向き合う準備など微塵もできていませんでした。
動物なんて、ただただパニックで暴れるだけだと思っていたのに、荒ぶる息遣いと裏腹にその目は至極澄んでいて、いかに効率よく僕を仕留めるかを緻密に計算しているようでした。
「あ、だめだ」
このイノシシは、まちがいなく、僕を殺せる──
考えてみれば滑稽です。
殺すことを“学ぶ”つもりで罠にかけたのに、そんなつもりなど微塵もなかったイノシシに、今殺されようとしている。
狩猟に通じている人からすれば、目を瞑っても獲れるような“小物”だったと思います(実際後にそう言われてしまいました😅)が、僕からすれば、鎧を纏っても到底勝てそうにない“絶望”でした。
このままでは喰い殺されるとよーく理解した僕は潔く生け捕りを諦め、
急いでオーナーから、鉄パイプと止め刺し用の包丁を借りてきたのでした。
近くにあった、何かもよくわからない板を盾に、
「やめとけ!!」と叫ぶ本能を辛うじて押し殺しながら、
再びジリジリと近づいていく……
「……なるほど。お前も“そういうつもりで”来るんだね」
目が合った時、イノシシの瞳孔が、ほんの少し広がったように思いました──
そこから先は、あまりよく思い出せません。
震え上がる足を抑えながら振り下ろす鉄パイプは幾度となく空を切り地面を叩き、
その度に骨が砕け散るかと思うほどの痺れが肘から指先にかけて噴き上がり、
そうこうしている内にも罠が外れるかもしれないという恐怖がさらに僕の腕から力を奪っていき
……次でやられる…………次で殺られる……!!
「べコッ」
拍子抜けするような感触に、何が起きたのかまったく掴めない僕。
見ると、目をひん剥きながら痙攣するイノシシの姿が横たわっていました……
「バコッ!!」
頭では“もういい”とわかっているのに、気づけば僕は蛇足の一撃を食らわせていました。
乱れた呼吸を整えて、頭に昇った血が少し降りてきた時、
いつ擦りむいたのかもわからない膝から黒く滲み出す血が、これがどれほど無様な“狩猟”であったかを物語っていました──。
第二章:獲ってしまった。奪ってしまった。
僕が泥と脂にまみれながら仕留めたのは、“リュウキュウイノシシ”という、本土のものより小ぶりなイノシシの中で、さらに小ぶりな一匹の若いメスイノシシでした。
とどめを刺すまでにかかった時間は45分ほど。
それは永遠に思える45分間でした──。
「……あぁ……そうか……」
ようやく落ち着いた頃、思わずこぼれた言葉。
想像していたような達成感や充実感はなく、ただただ、とんでもなく大きな“何か”を背負ってしまったという、得体の知れない重圧だけが、じわじわとのしかかってきました。
“このいのちからは、もう逃げられない”んだ──
そんな途方もない現実感と共に、ちょっと前まで殺されかけていた恐怖も掠れるくらい、そして自分が殺した事実も忘れるくらい、知らず知らずのうちに慈しみの情が湧いてくることが、自分でも不思議でした。
しかし不思議と言えば、その直後に起きた出来事でした。
血抜きを終えたイノシシをどう動かそうかと試行錯誤していたその時、
一匹のイノシシが突然茂みの奥から姿を現し、
いま正に、“姉”の息の根を止めた僕の前に、
まだ拙い足を踏張り立ちはだかっていたのです。
──オーナーからは「母と娘姉妹の3匹家族のイノシシがよく来ている」という話を聞いていました。
後に設置したトレイルカメラには、大人のメスとウリ坊のメスの2匹しか映っていなかったため(↓)、僕が獲ったのは恐らく“姉”の方のメスイノシシでした。
そしてこの動画に映るまだ幼気な“妹”イノシシが、“姉”のとどめを刺したばかりの僕の目と鼻の先に、突如として現れたのでした──
イノシシに限らず、どの動物も子どもはみな好奇心旺盛だと言います。
どんな相手にも警戒心なく近寄り、愛嬌を振りまいて帰って行く。
しかし一方で、一度警戒するとなかなか近寄ってくることはない。
──ところがこの妹イノシシは、そんな定石とは全く違った様子で僕の元にやってきていました。
まず、眼差しが一目でわかるほどに寂しげでした。
と同時に、突撃するその刹那に見せるような肩の“怒り”も見え、
好奇心よりも警戒心を強く感じる雰囲気でした。
なのにそれでいて、僕の目の前に、たった一匹で出てきたのです。
「姉を“この人間に”奪われたこと」を、このイノシシは、はっきりとわかっている──。
僕にはそう思えました。
見透かされたような居心地の悪さに、僕は咄嗟に威嚇する素振りを見せながら、“姉”イノシシを引き摺ってその場を離れました。
そして、またいつ現れてもいいようにと盾と鉄パイプを装備し、茂みを睨み続けること数分……
結局、その妹イノシシは2度と姿を現すことはありませんでした。
(今のは……なんだったんだろう……。まぁでもいいか。とりあえずここなら安全だし……)
安堵したのも束の間。
本当に大変なのは、ここからでした──
第三章:手に負えない。いや負うしかないんだ。
さっきまでの格闘と極度の緊張で、既に全身は疲労困憊の状態。
そんな中で、この”けむくじゃらの死体”を、自分の手で“肉”に変えていかなくてはならない。
しかも、ナイフがない。(え?)
……ぶっちゃけ、罠を仕掛けてたった二日で獲れると思っていなかった僕は、解体用の道具を何も揃えていなかったのでした。(呆れ)
かといって、止め刺しで使用した包丁はカフェの商売道具なので、既にオーナーにお返ししており、道具はなんとか自分で調達する必要がありました。
さらに悪いことに、肉の腐敗を防ぐためには熱を溜め込んだ内臓を摘出し、一刻も早く体内を冷やさなくてはならなかったのです──。
眼前の状況のヤバさがようやく呑み込めた僕は、イノシシを野山に晒したまま痛む足を引き擦り車に走り、一番近いコンビニで「カッター」と「ブロックアイス」を買って戻ってきました。(近くにホームセンターなどないのです😭)
そしておもむろにスマホを取り出し、Youtube大先生に解体方法を伺いながら、
やんばるの大自然の中たった一人、肉と骨と皮の塊との2回戦をスタートしたのでした──
ふぅ……(一回背伸びしましょうか)
……よし。
何はともあれ、まずは内臓を取り出そう。
コンビニカッターのポテンシャルを信じ、見よう見まねで肛門から喉にかけて刃を滑らせていきます。
(…………切れる……切れるぞ!!)
早速期待以上の実力を発揮してくれた数百円のカッターに、意外と早く終わるかもしれないと期待が膨らみます。(安心してください5時間かかります)
パックリと開いた腹部には、理科の教科書で見たまんまの内臓が、ほっかほかの状態でギッチギチに詰まっ……自重します(してない)
その中で、口から肛門に渡る「外気が通っていく消化器官」は、寄生虫の潜む可能性が高く、初心者には不向きと言われていました。
その時の疲労具合を考えても泣く泣く山に埋めざるを得ず、結局持ち帰れた臓器は心臓・肝臓・腎臓の3種類のみ……ううぅ……
泣いている暇なんてありません。
続いて皮の処理に移ります。
本当は、熱湯で毛を全てむしって皮ごと持ち帰りたかったのですが(上の写真に写る鍋は敗北の証。湯を掛けてはむしって、掛けてはむしってと何度もトライしてみましたが、全く抜けてくれず😂)結局カッターをしゃにむに振り回し、ざくざくと肉から剥がしていくことにしたのでした……。
……1〜2時間は経ったでしょうか。ようやく皮を剥がしきり、写真を撮る余裕も生まれ、ちょっとした充実感のようなものを感じ始めた時、ふと得えも言われぬ不安感に襲われます。
(あれ……おれここまでどうやって解体したんだっけ……?
え、これ……残りのやつどうやってやればいいんだ?
これもし終わらなかったら、おれいつまでこの山で過ごすの……?)
自分のキャパを超える作業に長くのめり込みすぎたことで、緊張の糸が切れた瞬間、“自分がいま何をしているのか、よくわからなくなってしまった”のです。
そして過去と現在の連なりが絶たれてしまったことで、未来に対する不安も勝手に膨らんでいきました。
僕は一旦作業をやめ、しばし呆然と立ち尽くしていました。(これが必要でした)
そして改めて深呼吸し、文字通り気を取り直すと、再び残りの肉塊に向かって行ったのでした──
最後の難関は、関節を外す作業。
骨と腱を断つ必要があり、流石に相方の万能カッター君も悲鳴を上げ始めていました……。
それでも、動画を何度も見返しながら、替え刃を次々にへし折りながら、どうにかこうにか頭を落とし足を切り外し、出来上がった肉片をドンドコドンドコポリ袋に放り込んでいきました。
終盤にかけ集中力が戻ってくるにつれ、不思議と疲れを感じなくなっていき、作業は加速していきました──
──発見してから解体を終えて帰るまで、およそ6時間半。
獣のいる山中で夜を迎えるのがとにかく怖かったので、結局飲まず食わずでぶっとおしの作業でした。
全てを終えてまず思ったのは、
「上手に解体してやれず申し訳ない」ということ。
内臓もちゃんと洗って全部いただきたかったし、皮を残す方法ももっと調べておけばよかった……。
こうなったら僕にできることはもう、残されたすべての肉を、美味しくいただくことに尽きる……!
第四章:「おいしい」とは、こういうことだったんだ。
「──何やら会員の一人がイノシシを獲って帰って来るらしい……」
家守さんに「拠点で調理していいか」確認した事で、既に同居人たちにはイノシシ男帰還の噂は広まっていました。
そして僕は帰るや否や、怪しげな段ボールをキッチンに運び込むのでした……
ひとりじゃないって素晴らしい……😭
先ほどとは打って変わって料理はサクサクと進み、いよいよ実食の時……
「もちろん、はるぽんまず食べなよ!」
(あんっだけ解体時間かかっちゃったし、全然食えないような代物だったらどうしよ……)
…………ぱくり……
息を呑む一同。
「……!!!!!!」
ほころぶ僕の笑顔に、嬉しそうな一同。
「おいしい」とは……
「おいしい」とは、おかえりの言葉で涙が出るくらい安心することだったんだ。
「おいしい」とは、差し出すいのちと受け取るいのちが繋がり合うことだったんだ。
「おいしい」とは、その価値を分かち合える人たちと食卓を囲むことだったんだ。
「おいしい」とは、こういうことだったんだ。
……大げさでしょうか。
でもほんとにこんな気持ちだったんです。
初めて自分で獲ったイノシシは、臭みも硬さもまったくなく、正直今まで食べたどんな肉よりも、うまみに溢れていました。
その後はもちろん、みんなで宴です🍻
僕はもちろん、周りのみんなも、獲れたてのイノシシなど食べたことがありません。
「これ……おいしすぎる……!!」
「うん……!!だし、ほんとに獲ってきたって思うと……すごい……。これ、お金払わせてください!」
そんな提案をしてくれるとは思いもよらず、パッと思いついた額(内緒です)をみんなからいただくことにしました。
「誰かに雇われる」以外でお金をいただくことなんて、考えてみれば初めてでした。
でも、それだけ大きく感じてもらえるような経験を共有できたことが、何より嬉しかったです。
食事もひと段落し、時刻はすでに22時を回っていたでしょうか。
──解体は、まだ終わっていなかったのです。(もうやめて)
こはると二人、キッチンに居残り、ダメ押しの4回戦に突入です。もう気合いです。
疲れてない訳無いけど、あのイノシシ姉妹のまなざしを思い出すと、何時までかかってもやり切ろうと思いました。
そして結局全ての作業が終わったのは、深夜0時を過ぎた頃──。
あんなに濃い一日は後にも先にもきっとありません……
そう、たった一日。
たった一度の狩猟解体体験でしたが、僕たちにはありあまる程の学びを与えてくれました。
──その後、色んな方におすそ分けしたり(離島暮らしの時みたい!)家族に送ったりしながら、僕たちは数週間かけて肉を食べ切りました。
(オーナー、改めて、貴重な経験をさせてくれて、ありがとうございました☺️)
そして、残った骨はイノシシの獲れた場所に埋葬したのでした。
そこで手を合わせた時、“いのちをいただく”というこの壮大で、ありふれた体験が、一つの輪を結んだ実感が、ようやく得られたのでした──。
2年経った今でも、あの体験はなんだったのか、いまだに呑みこめていません。
昨今は獣害対策としての狩猟も注目されつつありますが、正直、またやれるかは今のところ全くわかりません。
いのちの世界は、ごまかしのきかない世界です。
狩猟に挑んだ2022年は、割と深めに、こころを病んでいました。
でも、子どもであっても自分のいのちを必死に生きるイノシシ姉妹と向き合った時、僕も本当の自分を剥き出しに、ありのままにならざるを得ませんでした。
そしてそれが、僕のこころの靄を、一気に吹き晴らしてくれたのでした──。
終章:「いのち」と「こころ」は巡りゆく
さて皆さん……おつかれさまでした(笑)
書いててめっちゃ疲れましたが、多分読んでる皆さんはもっとですよね……。
紅茶でも飲んで一息ついたら、最後のまとめに入りましょう☕️
このnoteのタイトルは「人工知能にこころはあるか」をテーマにしたSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」に着想を得たものです。(お決まりですかね)
当初は「イノシシにこころはあるか」について最後に書こうと思っていたのですが、書いていくうちに、この小説が描くような「“もの”にもこころはあるか」というテーマも、書きたくなっちゃってました──
まずもちろん、イノシシは生き物だから、こころはあるでしょう。
でもそれはいわゆる“動物なりのこころ”などではなく、我々人間と全く同じ輪廻に繋がるこころだと、今では強く思っています。
そして、“もの”にもやはり、こころは宿ると思います。
ADDressを始めるにあたり大切なものたちに別れを告げた時、そして、それ無くしては絶対に狩猟解体はできなかったあのカッターを惜しみつつ手放した時、僕には“もの”それ自身が、“息吹”を発しているように感じられました──。
そしてその時思い出したのは、高校生の頃の頃に見た「小惑星探査機“はやぶさ”が最後に撮影した地球」の写真でした。
「はやぶさ」の人生ほど、“粋”を感じるものはありません。
将来的な実用機開発のため、“実験台”として数々の難題を受け入れ、
二度とこの星に降りられないことを宿命付けられたまま宇宙に飛び出し、
残されたエネルギーの最後の一滴で地球の姿を焼き付けたまま、
炎に包まれ散っていく──
「使い捨てられた」と言えばそれまでです。
しかしはやぶさもまた、僕たち生き物と同じところに還っていくのかも知れない──。
僕に運悪く関わってしまったことで、食べられて、放り出されて、それぞれ“良い気”はしていないかも知れませんが、
「いのちを舐めるな」と教えてくれたあのイノシシや、その数センチの刃先で僕の世界を切り広げてくれたあのカッターが、ひとときでも自分の細胞や暮らしの一部であったことを思うと、この世界の円環を感じずにはいられません。
僕もいずれ死にます。
でもそれもまたこの星に生まれたひとつのいのちとして、“コスモゾーン”に還っていくだけでしょう。
(初めて手塚治虫のコスモゾーンのことを教えてくれたのは、そういえばこはるでした)
現代は飽食の時代と言われます。
ものも、生き物も、無尽蔵に無感情に生産し消費してしまうことが半ば当たり前の時代。(もちろん僕自身もその一部です)
その時代を生きる中で、アドレスホッパーと狩猟解体という一見無関係なこの二つの体験は、あらゆるものの中にこころの繋がりを見出すことができるということを、僕たちに教えてくれました──。
長くなりましたが、今回はこの辺りで筆を置きたいと思います。
あのイノシシ母娘も今頃、やんばるの深い山の中、僕と同じように何かに喜び、悲しみ、生きたり、死んだり、いのちを輝かせていることを祈って。