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一滴の雨水として

雨が降っている。

スッと軽く息を吸いながら、思い出すあの不安感。私は幼い頃から、ふとした瞬間、特定の時間、特定の場所関係なく、不意に訪れる「得体の知れない不安」を感じてきた。

「我々は広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ」(『猫を棄てる』P96)

私に「父」の記憶はない。私が幼稚園の頃に自死した「父」は私に何一つ残さなかった。
思い出も、言葉も、笑顔も、何一つ。記憶を自ら消したのか、意図的に消されたのか、今となってはもう定かではないが、今の私にとって「父」は生物学的な父親という意味以外に、何もない。

かつて、私の心の片隅には小さな「空き部屋」があった。誰も住んでいない、空虚で、だけど長い間取り壊せなかった部屋だ。
 
小さい頃は、その部屋で時折カランと響く、かわいた音が不思議だった。その音を聞くたび、心がほんの少し痛む気がしたが、すぐに忘れた。

その音こそが得体の知れない「不安感」そのものだったのだが、20歳を過ぎてからは、その空き部屋に恋人を住まわせたり、夫を住まわせたりしてみた。
しかし結局、誰一人、定住してくれなかった。

 この部屋は、おそらく「父」の部屋なのだろう。幼稚園まで一緒に暮らしていたはずの人だ。幼い頃には「父」の思い出が一つや二つあったはずで、その思い出が、幼い私の心に父の部屋を作ったとしても不思議はない。

繰り返すが、「父」の記憶はない。
その顔も声も、名前を呼んでもらったことがあったのかさえ、覚えていない。
だた一つ、その存在を感じさせる写真がある。自宅の庭で、補助輪のついた自転車にまたがり、硬い表情でカメラを見つめる私の写真だ。自転車に乗る練習を一緒にしたのだろうか。何も覚えていないが、なぜか、カメラの向こうに「父」がいるような気がしてならない。遺されたものから、ことごとく「父」の形跡が消失した違和感のために、そう思うだけなのかもしれないけれど。

後に母が死んだとき、死別と同時に離婚をしていた「父」の戸籍を取り寄せた。「父」のことは出身地以外何一つ知らないから、司法書士に依頼して取り寄せてもらった。それを見て、初めて知ったことがある。
「父」は母との結婚が3回目だった。しかも、日本のどこかに腹違いの姉がいることも分かった。それを見て、私は大いに笑った。
初めて「父」という人が本当に存在していたのだと認識した。
そして
好き勝手に生きて
好き勝手に死んだんだろうな。
そう思った瞬間、無性に腹が立った。

私は、自身に起こった人生のあれこれを、父の不在のせいにするつもりはない。当時はまだ、そんなに多くはない母子家庭で貧しかったし、好きなものを自由に買ってもらえる余裕もなかった。

それでも母がどうにか工面したお金で大学へ行かせてもらい、就職してから借金はすべて自分で返済した。
結婚をしたけれど、離婚もした。子どもも作らなかった。
そんな人生を、自分のせいと思うことはあっても、誰かのせいにしたことはなかった。

 でも、今になって思う。
本当は心のどこかで、言いたかったんじゃないか。空虚な空き部屋でカランとかわいた音がするたび「あなたのせいだ」と。
あなたのせいで、人生ことごとくうまくいかなかったと。あなたさえ生きていれば、こんなことにはならなかったと。

 分かっている。そう言うそばから「それはあり得ない」という自分の声が聞こえる。
父に生活能力はなかった。
父の借金繰りの浅はかさは、親戚から聞いていたし、自死の原因もおそらく金絡みだろう。そんな父が生きていたところで、幸せだったかどうか。

---雨は降り続いている。一体どれほどの雨粒が、空から降っているのだろう。

「その一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある」(『猫を棄てる』P96)

 「父」はやはり、今の私には意味のない存在だ。私がこの世に存在するための生物学上の理由以外は。懐かしいと思い出すことも、会いたいと思うことも、憎むこともない。

生前母が、ぽつりとつぶやいたことがある。
「優しい人だったのよ」
どんな文脈でそんな言葉が出てきたのか覚えてはいないが、おそらく、母だけなのだ。父のことを愛することも、憎むこともできるのは。

 時が流れ、母をはじめ「父」を知っているだろう人間が次々とこの世を去り、もはや「父」を知るすべはほとんどない。

もしも、一滴の雨水にも、その歴史を受け継いでいくという責務があるのだとしたら、私は著者のように「父」という人を知る必要があるのかもしれない。
人生のある時には、そうすることも考え、「父」が生まれた土地を訪れてみたこともあった。しかし、何も感じなかった。だから、知ろうとすること自体、やめた。

だけど今、著者の言葉にこう思うのだ。

父よ
あなたも一滴の雨水であり、その歴史を受け継ぐ過程で、私という「存在」を作り出したのなら、あなたはその責務を立派に果たしたのではないか。

そして

あなたが作り出した私が、こうして今「生きて」いること、それこそが、私という一滴の雨水が、その歴史を受け継いでいるということにほかならないのではと。

空き部屋がなくなったことに気づいたのは、いつのことだろう。

父よ
あなたの不在が
私に何をもたらしたのかは分からない。
ただ、あの夜あなたに道連れにされず、こうして今もこの世に存在し、あなたと同じように死を選ぶことなく、とびきりの幸せも、どん底の不幸も味わわなかったことを、どうか安心してほしい。

私はあなたの娘ではないが
あなたは私の父なのだから。

 


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