言葉への心くばり 関与しながらの観察
みなさま、こんにちは。
『「こころ」はどこで壊れるか 精神医療の虚像と実像』
という本を読みました。
(洋泉社 2001)
精神科医滝川一廣氏に佐藤幹夫氏が
インタビューした対話内容が
まとめられた書物です。
読んでみて、
佐藤氏という聞き手と
滝川氏という語り手の
異なる鋭敏さが、
絶妙であるという
印象を受けました。
聞き手は、
精神医療の水準は
適切に保たれているのか?
現代の子どもたちの
こころは大丈夫なのか?
こころはどう壊れて、
どこで壊れるか?
…と、
次々と詰め寄っていきます。
聞き手の佐藤氏は、
現代の社会や医療に向き合い、
不安や不満に感じたことも含めて、
どのように考えたらよいかと
鋭く率直に
滝川先生に尋ねておられます。
それに対して、
語り手の滝川先生は、
客観的データや
ご自身の臨床体験に基づき、
言葉を丁寧に
吟味して語っておられます。
例えば、
精神病への差別語や
人格障害というネーミングなどに触れ、
言葉が与える影響について、
言葉を丸暗記するのでなく、
自分で考えるように
読み手に示唆を
与えてくださっています。
このような切り返しは、
滝川先生ならでは
だなと感じました。
滝川先生の
言葉を
というか
言葉が与える影響を
丁寧に配慮し続ける姿勢は、
精神科臨床の中で、
サリヴァン、
シュビング、
中井久夫…
と引き継がれているものを感じます。
サリヴァンの
有名な言葉を借りれば、
「関与しながらの観察」
という姿勢なのかもしれません。
誰に向けた言葉か。
どのような目的のための言葉か。
外側からの観察だけでなく、
内側からの体験に基づく
言葉になっているか。
この本を読んでみて、
普段の心理臨床で、
症状や状態像を話し合ったり、
心理検査結果をお伝えしたり
する機会での自分の言葉を
改めて見直したい
と強く思いました。
(20200330記載)
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