岡本太郎氏に触発されて土器を眺めていたら、モチベーションが回復!?
「やばい、書けない。明日がきてしまう」
こうつぶやいたわたしは、お気づきのように人気作家でもない。
そもそも作家でもない。
2023年12月の博物館の帰り道
縄文好き+文章をかくのが好き=縄文エッセイ
なんて世紀の大発見である公式をひらめき、
「どうせ書くなら週間がいいよね、週刊縄文ジャンプになったりしちゃって!」
なんて大笑いを巻き起こすネタを思いつき、
そして、1月から8月まで毎週書いてきた。
おかげさまでシェアしてもらったり、
友人からは読んだよって言われたり、
♡をつけてくださったり、
”ラジバンダリ”
もう、いくつもの”ラジバンダリ”を経験させてもらった。
でも、いつしか「毎週書く」ことが目的になり、「縄文ってたのしい」という気持ちや「縄文視点で考える」時間がおろそかになり……
とうとう止まった
週刊縄文ジャンプ
週刊縄文ジャンプが
月刊縄文ジャンプになり、
季刊縄文ジャンプを迎えそうな頃
またまTVを見ていると、Eテレ『美の壺 選「縄文 美の1万年」』で土器が紹介されていた。
う、美しい!!!!!!!!
ちなみに火焔土器は、かの有名な岡本太郎も魅せられた1人である。
そんな岡本太郎が執筆した「縄文土器論」の冒頭文はこちら。
わたしは火炎土器をじっと眺めた。(残念ながら映像だが)
お腹の底からなにか沸々と湧き上がる情熱が絡み合うように見える縄模様。
4つの突起部分は地上を見守る龍。
わたしは龍の存在にも気づかず、深い底でうずくまったまま冬眠を迎えようとしていたのだ。
ジブリ作品が大人になって解釈が変わるように、
土器もそのときの自分の気持ちによって見方が変わる。
食物を煮るだけの用途ならば、わざわざ模様をつけなくていい。
それなのにも関わらず、つけざるを得なかった縄文人の強い衝動にガツンと殴られた気がした。
そっか、これだ。
古代とつながって、メッセージをもらってるような感覚。
これに魅せられていたんだ。
もう少し自然に身を任せて書いてみようかな。