レストランを転職した理由⑥-転職失敗-
人生初めての転職を決めた。
長年料理ばかりしてきたし、知識も技術も身に付いている。
県下No.1と言われているイタリアンレストランで部門シェフまで務めた。
キャリアは十分だろう。どこに行っても通用する。
そう思っていた。
私の性格上、新しい環境に身を置いたら、自分のキャリアをぶら下げるつもりはない。
郷に入っては郷に従え。
その店のやり方を徹底的に覚え、自分の知識に上書きしていく。
転職後の最初の難関は、その環境に馴染まなければいけないこと。
自分のやり方を強要し、波風を立てるほどの愚行はない。
そして選んだ職場は、数か月後にオープンを予定している高級フレンチレストラン。
場所は山奥。リゾート地というやつだ。
外国人やらスキー客やらをターゲットにしている。
面接は2回あった。
初めて面接に行ったとき、面白いことが判明した。
そこのシェフは、数か月前に私が研修に行った、星付きレストランの元シェフだった。
東京に行かずとも、そこの料理の血統を獲得できる。
心が躍った。
2回目の面接では料理テストをした。
得意料理を2品作ってほしいと言われた。
実力を見て給料を決める、と。
結果はなかなか良いものだった。
美味しいと言ってもらえたし、提示された給料は前職より+8万ほどで採用が決まった。
新天地で、しかもミシュランシェフの下で料理ができる。
今まで悩んでいたこと。
美味しいのその先。
口に入れた瞬間意識が飛ぶような料理。
自分の辿り着きたい境地に近づけるかもしれない。
武者震いがするほどワクワクしていた。
しかし、私はこの職場をたった1ヶ月で去ることとなる。
10年以上料理に没頭していた自分がなぜ。
辿り着きたい境地に近づける、と武者震いしていた自分がなぜ。
理由はいくつかあるが、主な原因は、
以前から考えていた「料理が美味しいことよりも大事なこと」に気付いたこと。
気付かされた要因として、人の闇に触れたこと。
その店はオープンしたての店ということもあり、厨房スタッフは料理長と副料理長と私、3人しかいない。
特に問題だったのは副料理長。
そこそこキャリアのある私が気に食わなかったのだろう。
厨房に入りたてで、その店のルールであったり、あらゆるものの置き場所、そして料理の仕込み方、右も左も分からない。
積極的に質問をしても、「自分で考えろ」の一点張り。
最初に書いたように、その厨房に入ったら、たとえ作ったことがある料理でも、作り方はその店のやり方を覚えるべきだと思っていた。
しかし、何を聞いても、
「そんなことも分からないのか」
「今まで何をしていたんだ」
「前職でやったことないのか」
本気で料理と向き合ってきた新入りに抜かれるのが怖いから、そして自分に自信がないから、周りを落として自分の立ち位置を確保する。
できていない部分を探し、執拗に指摘、長時間説教。
部下の成功体験を阻み、「自分のほうができるんだ」とマウントばかり取ってくる、典型的なダメ上司だった。
上司ガチャ失敗。というやつだ。
「まかないを5分で作れ。」
できなきゃ1時間近く説教。
説教が原因で仕事が進まず、
「仕事が遅い。なぜ終わらない。前職でもそんな感じだったのか。」
また1時間近く説教。
口癖のように「前職では...前職では...」と言ってくる。
大事なのは前職ではなく、今だと思うのは私だけだろうか。
そして、よくもまあ、そんなに説教する時間があるな、とは思ったがそりゃそうだ。
そもそも予約がない。
仕込みが壊滅的に少ないのだ。
オープンしたて、辺境地、高級レストランなのに1日1組予約があればいいほう。
仕込みがあっても、私に全振り。
副料理長の時間は有り余っている。
実際にあった非道な事柄を挙げればきりがないが、それでも自分は「やってやるよ」と反骨精神を前面に出し、全力で仕事に打ち込んだ。
新しい仕込みをやる前には必ず、
「この料理、今までやったことある?」
…あるわけないだろ、この店の新作なんだから。
と思いながら、「ないです。」と答えると、
「え!前職でやったことないの?今まで何してたの?」
…イタリア料理だよ畜生が。ここはフレンチだろうが。
と、まあ心の中で散々毒を吐いたが、それでも新しく覚えた料理は、仕事終わりにスーパーで食材を購入し、家で何度も練習した。
それだけ練習していれば、日に日にできることが増えてくる。
料理長には時折お褒めの言葉を頂けたが、副料理長は違った。
副料理長自身の考えと、私の行動に1㎜でも相違があれば、すぐに長時間説教が始まる。
それでも私は短期間で着実にできることが増えていたため、説教の内容がネタ切れしたのか、徐々に私の人格否定に変わっていった。
そうして料理ができないことと、仕事に集中できないストレスから、次第にメンタルが抉られていく。
愚痴を言える同期も先輩も後輩もいない。
この店で私は常に孤独であった。
予約がなく、掃除や整理整頓ばかりする日々。
やることもすぐに終わってしまう。
料理ができない。
え。なんのために転職したの?
毎日そう思っていた。
オープンしたてはこういうものなのか。
辛抱するべきなのか。
飲食業で働いていて初めて「つまらない」という感情が芽生えた。
そしてついに、店を辞めるきっかけとなった出来事が起こる。
レストラン料理というものは、その日の仕入れ状況や、食材の状態で臨機応変にメニュー構成を変える。
それでもクオリティを落とさないようにするために必要なのはシェフの器量。
厨房全体の状況把握、的確な指示というものが必要不可欠である。
その日は珍しく予約が1組あったが、届くはずの食材が届かず、メニューを1品変えた。
なのに指示が飛んでこない。
副料理長も「俺も知らん」の一点張り。
このままではお客さんに迷惑がかかる。
そう思い、すぐに自分から調理法や盛り付けの確認をする。
しかし返ってきた言葉が、
「自分で考えて」
……え?
あなたの料理ですよね…?
こちらとしては、あなたが考えた料理を最高の状態でお客さんに届けたいから事前準備をしているのに、自分で考えろ…?
意味が分からなかった。
自分の料理に対して、お客さんに対して、無責任すぎないか。
いやいや、それでもその時が来たら、こうしろ、ああしろ、言われるだろう。
そう思っていたが、そのメニューの調理に入っても一向に指示が飛んでこない。
これはもう自分の持っている知識、技術を駆使してやるしかない。
この状況で自分がどういう料理を作るのか試しているのか?
そう思って、調理、盛り付けをした。
「違うよ!そうじゃない!なんでそんなことしちゃうの!」
「時間もないし、これで出すしかないじゃないか!」
頭が真っ白になった。
店の料理を崩してしまったのではないのか、というショックが襲う。
自分で考えろ、と言われて自分で考えた結果、店のやり方と相違があったらしい。
次第に冷静さを取り戻し、そして決意した。
辞めよう。
怒られたから辞めるのではない。
そこそこキャリアのある私が気に食わないのか、ひたすら属性マウントを取ってくる副料理長。
自分の料理に絶対的な自信があるが、自分のことしか考えず、人を動かす力がない料理長。
各々が私情を挟んで、お客さんに提供するお皿に悪い影響を及ぼしてしまうのが1番許せなかった。
料理人として最もあってはいけないことだ。
そのお客さんは帰り際、私の作った料理に感動したと言ってくれたことが唯一の救いだった。
しかし、ここにいても良い料理は作れない。
本能的にそう思った私は、その日のうちに、店を辞めることを伝えた。
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