レストランを転職した理由②-美味しいがわからない-
部門シェフになってからしばらくした頃、
有名なレストランに行っても、
自分の作ったものを食べても、
味が自分の想像を越えなくなった。
美味しいは美味しいし、不味くはない。
でも腰を抜かすほどの感動はない。
四六時中料理のことを考えた。
こうしてみたらどうだろう、ああしてみたらどうだろう。
何度も何度も試作した。
美味しいけど…知ってる味。
美味しいけど…何か足りない。
美味しい…のか…?
なんか…普通…じゃね…?
これが悪循環の始まり。
何を食べても普通。普通。普通!
美味しいものが作れなくて焦る日々。
食に対して少しずつ興味を失っていた。
そんな中、休みの日に家族と行った回転寿司チェーン店。
何も考えずにわさび醤油で食べた生魚。
美味しい。
久しぶりの感覚。
余計なことを考えることなく、素直に美味しい。
そして悔しい。
魚に対して様々な処理を施し、あれこれ調理して、より美味しいものを追及してたのに。
カルパッチョひとつに莫大な時間を費やしたのに。
過去の料理を全否定された気分。
結局、醤油で食べる刺身が1番うまい。
まぁ鮮度によるけど。
そんなことを考えながら寿司を食べていたが、
「まぁ鮮度によるけど…」
これがヒントになった。
今までは誰も食べたことのない新しい料理を作るために、奇をてらった珍しいものだったり、見た目を華やかにしたり…
料理に対して置くべき重点がずれていた。
師匠に何度も言われたこと。
「悪い食材をいくら調理したって美味しくはならん。
素材にこだわれ。素材を目利きする力があれば、塩とオリーブオイルだけで感動させられる。それがイタリア料理の真髄だ。」
あらゆる物事において、慣れれば慣れるほど「自己流」になっていく。
そして徐々に基礎を忘れ、脱線していく。
まさかの回転寿司からヒントを得て、原点回帰した。
試作を再開、スランプから抜け出せると期待し、時間を忘れて料理した。
洒落たものは狙って作らない。
見た目で料理しない。
そう決めてた。
大事なのはよりいい素材。
トマト1つ、レモン1つでさえ、個人農家さんと連絡を取り契約した。
1皿目、2皿目、3皿目。
試作を重ねるごとに気付いたことがある。
素材がいいと料理が楽なこと。
あれこれ調理を施さなくても、迷わず美味しいと言えること。
例えるなら、リンゴ。
皮に張りがあって艶のあるみずみずしいリンゴとボケたリンゴ。
同じリンゴでも、素材の良し悪しで美味しく食べるための手法が変わってくる。
ボケたリンゴはそのまま食べても美味しくないから、大量の砂糖で煮たジャムなどに加工をしてようやく美味しく食べられる。
しかし美味しいリンゴは下手に加工するよりそのまま食べたほうが美味しい。
素材がいいと料理工程が明らかに減る。
適切な塩だけで素材の美味しさをより引き上げることができる。
そういう点では、原点回帰したことによって料理人としての成長を促したのかもしれない。
それでも、試作した料理全てが自分の想像を越えることはなかった。
素材の美味しさは段違いに上がった。
それでもどこか知ってる味。
感動がない。
数多くの人に試食してもらうといい評価はもらえる。
それでも自分が納得しない。
自分の料理の味に慣れてしまったのだろうか。
長い間同じ店で料理をしていると、料理人としての血統因子が確立してくる。
同じ店で働いていた2人の料理人がそれぞれ独立したときに、出す料理が似てしまうのも、その血統因子が原因である。
素材を引き上げたときの良さは理解している。
しかし自分の求める、「1口食べた瞬間に心底感動できる美味しい」にたどり着かない。
自分の力不足に苛立ちを覚え、
迷いがあるまま日々の営業に臨んでいた。
そんなとき、悩んでいる自分をずっと見ていた師匠が一言。
「東京で働く気はないか?」
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