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多様化の世界になっても「我慢する総量」は変わらない

前提として集団生活を行う以上、大なり小なり「我慢」というものが発生します。
いい悪いではなく、価値観や思想の違いからくるものなので、この衝突は避けられないでしょう。

例えば、今この世界の言語が「日本語」で統一されたら。
日本語圏に生きている私たちには都合のいい世界が来ますが、それ以外の言葉を話していた方には大変な労力をかけて学習してもらう必要が出てきます。
それが、今は言葉が分かれていることで、お互いに学習コストを払いながら生活しています。

宗教もそうですよね。
異なる宗教の人が同じ家で住んだらいろいろとストレスがかかると思います。
食べるもの、祈り事、着る服、イベント、それぞれ異なるので、衝突することもあるでしょう。
ただ、一つの宗教に統一したら、もともとの統一されなかった宗教の人は最大のストレスがかかります。

全ての人にとって無条件で幸せになる解はありません。
ディズニーランドに行きたい人と、ユニバーサルスタジオジャパンに行きたい人がいた場合、どちらかが一度は涙をのむ必要があります。

「絶対にディズニー!それ以外認めない!ユニバーサルスタジオジャパンなんてありえない!」
こんなことを友人同士ですることは無いでしょう。

「複数あるから悩むんだ!ユニバーサルスタジオジャパンを無くしてしまえばディズニーランドしか選択肢がなくなる!」
これも過激派過ぎて友人同士では考えづらいです。

現実の場合
「ユニバーサルスタジオジャパンに行きたい気持ちを我慢して、今回はディズニーランドに行って、次回はユニバーサルスタジオジャパンにしよ」
「どちらも我慢して、2人とも行きたい別の場所を探す」
等が妥協点かと思います。

多分、好きな人同士で行う、衝突したときはともに我慢する、これが私の思う「多様化」だと思います。

「一緒に行きたい気持ちを我慢して、別の友達と行く」
という選択肢も有りますが、こういったことを行うと多様化とは違う、どんどん小さな多様化を認めない社会になっていきそうですね。

ネットや顔が見えないと「絶対にディズニー!それ以外認めない!ユニバーサルスタジオジャパンなんてありえない!」みたいな人が大量に湧きます。
「多様化だから私の考えを認めろ!それ以外はありえない!」
といったニュアンスです。

これを認めてしまうと「それ以外」の人の意見が押しつぶされて、騒いでいる人は最大幸福を得ることができますが、それ以外の人は最大不幸になります。

そろそろ冷静に各自が思う多様化について考えてもいいのかなと思います。
そして、多様化を大切に!とネット上で活動している方は「多様化だから私の考えを認めろ!それ以外はありえない!」というスタンスになっていないか、分別のある大人なのだとしたら冷静に考えてほしいです。

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