「清潔感」と言う差別
「清潔」と「清潔感」の違いについて考えてみましょう。
まず、「清潔」は物理的に汚れがなく、不衛生な要素がない状態を指します。これは誰でも同じ基準で判断できるもので、たとえばシミやホコリがない服や、きちんと手が洗われているかどうかが典型的な例です。
一方で、「清潔感」は印象や感じ方に基づくもので、個人の主観によって左右されます。そのため、実際に清潔かどうかとは必ずしも一致しません。年齢や性別、文化的な背景なども影響し、「清潔感がない」という言葉が必ずしも物理的な清潔さを指すわけではなく、刺激的な言葉を使うと「差別」につながる言葉だと思っています。
さて、「清潔感がない」という言葉が差別的に使われることがあるのはなぜでしょうか。これは、その言葉が人の外見や属性に基づく無意識の偏見を正当化するために使われるからです。同じ服装をしていても、社会的に高く評価されている属性を持つ人は「清潔感がある」とされ、逆にそうでない人には「清潔感がない」と判断されることがあります。これは、その人が「格下」と見なされた結果として「清潔感がない」というレッテルを貼られているに過ぎないのです。
具体例として、職場で特定の社員が「清潔感がない」と非難されるケースを考えてみましょう。その人が特に不衛生というわけではなくても、外見や身なりが理由で批判されることがあります。このような批判は、実際の清潔さとは関係なく、その人の年齢や性別、民族などに基づく無意識の偏見から来ていることが少なくありません。
飲食店や接客業でも、外国人スタッフや特定の背景を持つスタッフに対して「清潔感がない」という批判がされることがありますが、これも本当にその人が不衛生というより、彼らの出身や見た目に対する偏見が影響している場合が多いです。
その一方で、ドラマなどで汚い・不衛生な役を演じている演者さんを見て「清潔感がない」とは言わないでしょう。実際は汚い風貌をしていても、です。
「清潔感がない」という批判が差別的であるとき、その本質を言語化するのは難しいものです。なぜなら、批判する側は自分が差別的な動機を持っていることを認めたくないからです。もし正直に言葉にすると、「相手を下に見ている」「社会的な属性に基づいて評価している」といった事実が明らかになってしまうでしょう。だからこそ、「清潔感」という曖昧な言葉を使って、あたかも客観的な評価であるかのように見せかけて、実際には差別的な感覚を隠そうとするのです。
「いじめ」みたいなものかと思ったりしています。
「清潔」と「清潔感」は似た言葉ですが、その意味合いには大きな違いがあります。「清潔」は物理的な状態を指す客観的な言葉であるのに対し、「清潔感」は主観的な印象に基づくもので、しばしば社会的な偏見や差別を正当化するために使われます。
特に「清潔感がない」という批判が登場する場面では、相手の属性や背景に基づいた差別的な感覚が隠されている可能性があります。
使う際はどういった意図をもって話しているのか理解することが必要かと思います。