〝いいね〟依存によってエスカレートする誹謗中傷
SNS上での誹謗中傷や罵倒が、社会的な問題として大きく取り上げられることが増えています。
なぜ人々は、訴訟レベルにまで発展するような発言にはどう考えてもデメリットしかありません。中には「誹謗中傷だと思っていなかった」といったパターンもあるでしょう。
しかし、その背景には、多くの場合「SNSで〝いいね〟をもらえる唯一のコンテンツが『悪口』しかない」という何とも切ない現実が潜んでいるのかなと思っています。
SNSは、誰もが簡単に発信でき、他者からの反応を得ることができる場です。
しかし、すべての発信が平等に評価されるわけではありません。ある人が、何気なく他者を批判する内容を投稿したとき、それが初めて大量の「いいね」を獲得したらどうなるでしょうか?人はその瞬間、脳が快感を感じ、承認欲求が一気に満たされる感覚を味わいます。
「いいね」やリツイートといったSNSでの反応は、脳に報酬を与える刺激として強力です。変化に乏しい日常よりも刺激的ですし、SNSの利用ユーザーからすれば「100いいね」や「1000いいね」は大したことのない量ですが、それでも「全世界から称賛された」と錯覚することもあると思います。
実際の社会で受ける称賛よりも、手軽かつ大量に得られるこの「いいね」は、次第に依存症のような感覚を生み出します。
ただ、人間は飽きる生き物です。初めは10いいねで満足していても、周りを見れば100いいね、1000いいね。おススメ欄に出てくるポストには10000いいねといったものが次々と現れます。
こういった事が引き金となり、さらに「いいね」を求める行動に走るようになるのかと思います。
ただ、ここで問題なのは、「どういいねをもらうか」です。
多くの人々は、何かを創造し、独自のコンテンツを生み出すことが出来ません。
絵を描く、文章を書く、音楽を作る――こういった事でいいねを集めるのは想像以上に難しいことです。
また、ポジティブなコンテンツで注目を集めるのも簡単ではありません。
感動的な話や前向きなメッセージを発信しても、多くの「いいね」を得るのは難しいです。
「今日食べたご飯がおいしかった!」でフォロワー数が限られている一般の人は100いいねを集めることはできません。
ねこの画像を上げればいいねは集まるかもしれないですが「自分の力」でいいねをもらった感が薄れます。
一時期はAIイラストでいいねを集めることが出来たかもしれないですが、徐々に注目度も落ち着き、「いいね」も減ってきているでしょう。
その結果、代わりに手軽に注目を集められる手段として「悪口」に頼るようになります。批判や攻撃的な発言は、才能がなくても簡単に発信できるだけでなく、他者の共感を得やすく、「いいね」を集めやすいです。
これは人間の持っている特性上仕方がないのかと思います。
結婚記事よりも不倫記事の方がPVが稼げる、そういった類のものです。
一度「悪口」で多くの「いいね」を獲得すると、それは一種の成功体験となります。
創造的な発信やポジティブなメッセージでは得られなかった承認が、悪口によって初めて得られる、この瞬間、多くの人は「自分はこれで注目を集められるんだ」と感じ、さらに先に記載した「飽き」も相まって過激な発言に走るようになります。
そして、段階的にその発言はエスカレートし、やがては法的問題にまで発展する可能性が高まります。
これは、SNSが抱える要素かと思いますし、SNSの運営側も積極的に活用しようとしているのかなとも思います。その方がアクティブユーザーが集まりますしね。
ただ、まぁ、SNSでのインプレッションが生活に直結するような方、個人クリエイターなどはフォロワー数=新作を発表したときにリーチできる数に直結するので大切ですが、そうでない人にとってのSNSのフォロワー数もいいねの数も大したことではないです。
一生懸命1000いいねを集めたところで、次の日どころか当日にも忘れ去られているでしょう。1000いいねを集めても今日の給料は上がらないですし、会社での評価には何の関係もないですし、友人関係にも大して影響はありません。
SNS依存もほどほどに、そんな風に思います。