暇人が増えすぎたこの世の中で
現代、暇人、あるいは言い換えれば余裕を持った人々が増加していると感じます。日常、SNSやニュースサイトのコメント欄を眺めると、さまざまな話題に対しての多くの意見が飛び交っています。しかし、それらの多くは直接自分の生活に影響がないはずのこと。なぜ私たちは、それほどまでに他人や関係の薄い話題に熱心になれるのでしょうか。
近年の技術の進歩は、私たちの日常生活を格段に効率化してきました。例を挙げれば、洗濯機。かつては手洗いに時間を費やしていた洗濯が、今ではボタンひとつで終わる。その結果、多くの人々には前よりも余暇の時間が増えました。
その時間を使って、趣味を楽しんだり、新しいことを学んだりする人も多い中で、同時に多くの人が情報の海で自分の意見を声高に主張することを選ぶようになりました。特にネガティブなコメントや誹謗中傷は、炎上を生む要因となり、一つのトピックがどんどん拡大していく。
しかし、もし私たちがこれだけの余暇を手に入れた結果として、このような非生産的な活動が増えるのであれば、果たして効率化を追求することが本当に正しいのか疑問が湧きます。もちろん、効率化は私たちの生活を豊かにする要因の一つです。しかし、その結果として得た時間をどのように過ごすか、それこそが今の時代の課題とも言えるでしょう。
効率化が進んだ結果、生活に困窮することが少なくなった現代。それは確かにありがたいことです。しかし、その一方で人々は何に時間を使い、何に価値を見いだすかという問題に直面しています。非生産的な情報のやり取りが増える中、自分自身が真に求めるものは何か、どのように時間を有意義に使うか、それぞれの人が考える必要があります。
技術の進歩は止めることはできませんが、それをどのように受け入れ、どのように活用するかは私たちの手に委ねられています。余暇を増やす効率化を求めるのであれば、その結果として得た時間をより豊かに、より有意義に過ごす方法を模索することが求められています。