
楽園の子供達
君は知っているだろうか。
アダムとイブが消えた後の楽園のことを。
彼らは知恵の実を食べたことにより、楽園を追放された。
それによって現在の人間が不老不死ではなくなり、様々な困難とともに生きることになったと伝えられている。
楽園を追放された後の我々の歩みは知っている、うん、そうだろう。
しかし君は、君達はアダムとイブの消えた楽園のその後については何も知らない。
そう、知っている者は誰一人としていない。
彼らを楽園から追放した後、我々の『主』が何をしたのか伝えている者はいない。
だから私は君に会いに来たし、君は私の話を聞きに来た。
話を続けよう。
彼らを追放した後、実を言うと『主』は第三の『ヒト』を創っていたのだ。
まず男の子供を『主』はお創りになられた。
そしてまたしても子がひとりで淋しがることのないように、女の子供もお創りになられた。
その二人の子供は仲良く成長し、アダムとイブのように知恵の実の木へ行くようになった。
しかしその木の側にはもうあの蛇はいない。
二人をそそのかす存在はいなかった。
にもかかわらず二人はその実を口にした。
『主』はお怒りになられたが、二人を追放せずにそのまま楽園に残すことにした。
楽園にはヒトが増えていった。
もちろん、我々の暮らしている地球ほどではないけれど。
『主』が第三のヒトを創られてから、百年と少し経った頃、楽園には十三人の子供達がいた。
もちろん、あの実を食べた二人もいた。
彼らは老いることなく楽園で暮らしている。
地球に追いやられたアダムとイブは、もう世界には存在していないというのに。
だが、君も含めてアダムとイブの子供達で今や地球はいっぱいになっている。
老若男女で世界は満たされている。
彼らや君達。
つまるところ我々は死んだ後に楽園に戻るとされているが、それはまず有り得ない。
楽園には我々の居場所などもうありはしないのだから。
『主』は第三のヒトを楽園に残したのだから、もうアダムとイブ、その子孫には関心がないのだ。
自らの手から滑り落ち、地球へと逃れ不老不死という不幸から解き放たれた者達に関心などない。
最初の方こそ気にはかけていたようだが今はもうそうではない。
『主』の関心は、不老不死のまま生きながらえていく第三のヒトに移っているのだから。
知を持ち合わせたヒトが永遠に続く生をどのように感じ、そしてまたいつ彼ら自身で楽園から去ろうとするのか。
それにただ興味を持っているのだ。
しかし、去ろうとする者を『主』はお許しにならない。
例外的に子供のうちに去ろうとする者は楽園から追放という形で認めてはいるようだった。
だが、成人、青年の者達が楽園を去るのを『主』は認めない。
心身ともに成熟を迎えた、もしくは迎えそうな者達は楽園の鎖に繋がれてしまい、もう逃れることは出来ないのだ。
老いることも死ぬことも出来ずに彼らは楽園にずっといる。
楽園の子供達は大人達からここを離れて別の場所に行くようにと物心のつく前からずっと言われている。
だが、楽園を自ら去る者はいない。
子供達は楽園での柔らかな暮らしを気に入っているし、仲間がたくさんいるというのになぜ大人達が自分達を楽園から追い出そうとするのかがわからない。
その考えが不幸を招くということを子供達は知らない。
楽園に留まることでのちに悲劇が生まれることを知らないのだ。
大人達は光の草原で無邪気に笑いあう子供達を見て、毎日のように憂いを感じる。
子供達はそんなことも知らずに今日も楽園を駆け回る。
今も、楽園には子供達の笑い声が響いている。