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あるメンターとの出会いと別れ

いまから15年ほど前の話である。

当時私は精神科病院に入院中で、タバコを吸わないものだから喫煙者同士のコミュニティには交じれず、病棟で話す人が限られてしまい寂しい思いをしていた。

そんな私の心の支えがmixiだった。当時はまだ招待制で、私は海外旅行先で知り合った日本人の友人から招待してもらった。

足跡機能もあった。私はクラシックの記事をよく書いていた。行ったコンサートのアーティスト名で検索して訪ねに行ったり、足跡を踏み返すとクラシック好きの人だったりした。

いまのXと同じで、クラシックつながりのマイミクさん(Xでいうフォロワーさん)が多かった。その中に私に大きな影響を与えた人がいた。

当時の私が30歳くらいで、その男性は40代。興味の幅がとてつもなく広い人で、クラシックはコンサートも行くし現役演奏家の新譜も買う、映画もよく見る(単館系の邦画が好みだった)、小演劇もよく行く、連ドラやアニメもほぼ全部見ては詳細な感想を書いていた。
小説も好きで、現代の日本人女性作家の新刊をよく買っていた。

私はこの人(Sさんとしよう)の影響でクラシックの現役アーティストの新譜を買うようになった。

クラオタで現役アーティストの新譜を買う人は案外少ない。往年の巨匠や名人ばかり聴いて満足している人も多い。
いまではサブスクでたくさんの音源が聴けるのでCD自体をほぼ買わなくなったが、当時はヤフオクで中古のマイナー盤を買うのに加えて新譜もよく買っていた。イブラギモヴァ、イザベル・ファウスト、ユロフスキ、V・ペトレンコらが全盛期のころである。

また、だいぶ遠ざかっていたドラマやアニメも、Sさんに習って初回だけは全部録画していた時期もあった。それで傑作アニメ「pet」と出会えたのだから、やみくもに芸術鑑賞するのはやはり意味があるのだ。

演劇も、それまでの私は美輪明宏や蜷川幸雄など大きな公演が主だった。野田秀樹ですら観ていなかった。
それがSさんやもう一人演劇通のマイミクさんがいたおかげで、スズナリやタイニイアリスといった小劇場にも足を運ぶようになり、ポツドールの「おしまいのとき」、イキウメ、モダンスイマーズ、サイモン・マクバーニーの「春琴」、長塚圭史(阿佐ヶ谷スパイダース)、岩松了、庭劇団ペニノ、飴屋法水の「ブルーシート」、マームとジプシーなどさまざまな小演劇を観た。

私はつくづくクラシック一辺倒のオタクじゃなくてよかったと思う。いくらクラシックの細かい演奏の違いを指摘できても、シェイクスピアの芝居やチャップリンの映画、ガルシア=マルケスの小説やカミーユ・ピサロの絵画、そういったものの美しさに心を動かされることがないのであれば、その人は芸術的感性があるとは思えない。

Sさんは私が40数年の人生で出会った数少ない「複数の芸術ジャンルの愛好家」だった。

Sさんとはよくコンサートが被った。話し合って買ったことは一度もない。アーティストの好みや気になる公演が重なっていたのだろう。
もっともある一定レベルのオタクになれば、行くべきコンサートは自ずと定まってくるものだ。

家が同じ方面だったので、コンサート帰りによくお茶をした。喫茶店が閉まると駅の構内で長々と立ち話をした。

SさんはIT系のサラリーマンだったから、私がノートPCを買うのに付き合ってもらったこともある(私は相当なメカ音痴)。

mixi上でもよく交流していた。Sさんは自分の日記を「備忘録」だと言ってコメントを期待していないようだったが(それならなぜ公開してるのか?と疑問に思ったが)、私は熱心にコメントしていた。

Sさんからもよくコメントをもらったが、一番記憶にあるのが内田光子のモーツァルトのピアノ協奏曲第23番の新譜レビューである。

私は最初にこれを聴いたとき、やけにもっさりしてるなと感じた。
内田光子の思いの丈を感じつつも、モーツァルトらしい軽やかさではテイト指揮の旧盤に劣るのではと感じた。

それで否定的な感想を書いたのだが、時間をおいて何度か聴き返すうちにもっさり感が気にならなくなり、旧盤よりエモーショナルな表現を好ましく感じるようになった(いま聴いたらまた別の感想になりそうだが)。

それで今度は好意的な感想をmixiに書いたら、Sさんは「以前と言ってることが違う。感想が変わった経緯が説明し尽くされていない」といった内容のイチャモンをつけてきた。

まあそれだけ私の日記を熱心に読んでいてくれたのだといまでは思うが、当時はしつこくその件で追及されるので、だったら自分の日記で書けよ!と思ってしまった。

退院後もSさんとの付き合いは続いたが、「一週間の献立を考えて自炊しなさい。それが自立への道」といった押し付けがましいDMをもらったりもして、私はウンザリして関係を断ってしまった。

その後、Sさんのことは遠い昔の記憶になっていたが、一昨年の12月に思わぬ再会があった。

場所はサントリーホール。読響の定期演奏会だった。
ムローヴァ目当てで聴きに行ったが(指揮はネトピル)、前半で隣の客の騒音がひどく、休憩中に事務局の人に話して席を替えてもらった。

そして同じP席の反対側のブロックの最後列の席に座ったら、何とSさんが二つ隣の席にいたのである(間は空席)。

こんなドラマみたいな再会があるだろうか。私は後にも先にもない。
それで最後まで並んでコンサートを聴いたが、Sさんは「この後用事があるんで」と言ってカーテンコールの最中に帰ってしまった。再会ついでにお茶でもと思った私は残念に思った。

その演奏会をTwitterで検索すると、Sさんの感想が見つかった。それでDMを送ると、またお茶しましょうという話になった。

その後、2回くらいコンサートが被ってお茶したような気がする。何のコンサートだったか、いまでは記憶にない。サントリーホールのP席の裏の廊下で話した記憶はある。

再会したものの、結局Sさんとはまた関係が切れた。
Twitterをブロ解したのは私だが、向こうからフォローしてきたのに私のツイートには次第にまったく反応しなくなり、リアル知人をフォロワーに加えない方針の私としては気分のいいものではなかった。

他にも理由はあるし、私が不寛容なだけとも言えるが、振り返って思うのはお互い入院中・サラリーマンという関係性だったからこそ(Sさんはその後脱サラして起業した)、気が合って話が尽きなかったのでは、ということだ。

人生には「その時間、その空間」だから仲良くできた人が数多くいる。
学校や会社が同じだったからよく遊んだ。でもそこを辞めたらだんだん疎遠になった、という例は山ほどあるだろう。

Sさんからはいろんなことを学んだ。

「映画は監督のもの。ドラマは脚本家のもの。舞台は役者のもの」

という言葉も納得できる。ドラマは脚本家で面白さが決まるとつくづく思う。

コンサート帰りにクラシックの話、演劇の話、小説の話、ドラマの話、そういった事柄を熱く真剣に話せた時間の何と贅沢だったことか。

Sさんと再会して何か話したいことがあるわけではない。
「その時間、その空間」を一緒に過ごせたことの豊穣な幸せをときどき私は思い返す。

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