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父の憂鬱(短編小説)

 今日の夕食は小清水にとって忍耐の時間だった。食卓には好物のマヨネーズたっぷりのポテトサラダが上ったが、たまたま映ったテレビが父のいつもの不快感を呼び起こした。
「こいつら最近よく出てるけど需要あるのかね。ギャーギャーうるさいだけで賑やかしにもならない」
 昇が苦々しい顔で言った。いわゆるオネエなタレント三人がチームを作って解答している。
 MHKの「The  日本の教養」というバラエティーである。教養とは名ばかりで、その実は日本文化礼賛の番組であった。
 道行く外国人に「あなたが思う日本の素晴らしいところを教えてください」とインタビューする。そんな質問を投げかけられて否定的なコメントなどできるはずがない。万一ひねくれ者がそんな発言をしても、MHKの街の声が検閲された声なのは誰もが知っている。
 いわば模範解答なのだ。こう答えるのが社会人の常識ですよと教えているのである。電車の事故があれば「大事な用事に遅れて困りました」という街の声が紹介される。「たまには事故もありますよ。鉄道会社の皆さんの日頃のご苦労に感謝です」なんてコメントは聞いたことがない。常に困った人の声ばかり拾い上げて「世の中にはこんなにも困っている人たちがいる。私たちは彼らの味方です」というのがMHKのやり方なのだ。
 今日のテーマは「箸」だった。箸の歴史、箸の種類、箸のマナー。寄せ箸、刺し箸、ねぶり箸。
「日本ノ皆サンハ箸ノ使イ方ガ上手デスネ〜」
 コテコテの外人日本語を話す来日十三年のイギリス人男性が取材を受けている。頭の良さそうな彼は日本文化を褒める外国人しか親日家として見なされないことをおそらく知っている。
 来日二十年の外国人が箸を器用に使っていれば「お箸の使い方が上手ですね」と褒められる。来日三十年の外国人に対しても「日本語がお上手ですね」と褒めることを忘れない日本人。
「褒めて何が悪い」という田舎臭い発想からいまだ脱却できていない。青い目の彼らがそうした褒め言葉に眉を顰めているなど思いもしない。彼らは日本で生き抜くために顰めた眉をいったんほぐしてからカメラの前に立っているのだ。
 昇に言わせれば賑やかしにすらなっていないオネエたちが「わかんなーい」と大袈裟なリアクションで解答している。少なくとも賑やかしにはなっているように小清水は感じるが、主観的なことなので反論はできない。会ったこともない人たちをこいつら呼ばわりする時点で昇とは相容れないものがある。
「最近LGBTなんて運動が盛んだけど勘弁してほしいね。父さんの会社にはそんなやつ一人もいなかったよ。普通にいいとこの大学出てそれなりの会社入って働いてるやつはまともだよ。きっと家庭に問題があったんだろうな。気の毒なもんだよ。本人たちだって楽して生きたいに決まってる。LGBTなんかに生まれなきゃよかった、マジョリティーがよかったって思ってるに違いないよ。まったく気の毒だよ」
 昇はポテトサラダをまずそうに口に入れた。ただの差別発言にすぎないのだが、彼からすれば同情の表明らしい。
 母・和江はそこまでの差別的感情はもっていないものの、セクシャルマイノリティに対する知識もなければ、知りたいという興味もない。ただ、昇の発言があきらかに限度を超えているという認識はある様子だった。
「まあいいじゃないお父さん。この人たちなんだかんだ苦労が多くてかわいそうじゃない。もう少し優しく見てあげましょうよ」
 と雑なフォローを挟む。彼女は話題が変わればいいのであって、真面目な議論は好まない。なあなあの事なかれ主義が和江の考える家族の平和だった。
 こういうとき姪の菜月は口を挟むことなく、小清水の顔とテレビを見比べながら御飯に集中している。菜月の処世術は小清水の遥か先を行っていた。
 妹の日向はスーパーのパートからまだ帰ってこない。スーパーたましろは家族経営のこじんまりしたスーパーで、日向は週五日パートに出ている。たましろのお母さんは余った惣菜をくれたりもする。肉じゃが、きんぴらごぼう、大根とイカの煮物。たましろのお母さんが作る惣菜は薄味で優しい味だ。
 和江の煮物は塩味が強い。高齢化した昇は味付けの濃いものを食べたがるようになった。年を取ると味覚の変化が起きるのだろうか。四十前の小清水にはぴんとこない。銭湯で年寄りが熱湯風呂に入りたがるのも皮膚の細胞が鈍化して熱さを感知できないのだろう。
「父さんはLGBTとかに偏見もないし同性愛を否定してるわけじゃないんだ。ただ最近あまりにも世間で騒がしいだろ? 別に否定してないんだからあんまり権利権利って騒がないでほしいね」
 昇はオムライスの最後の一口を平らげると第三のビールをぐびりと飲み干して大きなげっぷをした。
 いい年して自分のことを父さんと呼ぶのは恥ずかしいからやめた方がいいよという小清水の再三の忠告もこの男には通じない。会社人間で何ら父親らしいことをしてこず、嫌がる家族を無理やり旅行に連れ出しては「たまには父さんも家族サービスしないとな」と笑って小清水や和江を面食らわせてきた男である。父親たる自分に死ぬまで酔っておきたいのだろう。
 定年退職後に何の生きがいもない彼を支える精神的支柱を切り倒すことは家族の誰ひとりできなかった。

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こはだ@クラシックジョーク
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