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クラシック音楽の行方
クラシックのファンが高齢化している、とはよく聞く。
コンサートに行っても、中高年が目立つ。
特に「本格派」のプログラムだとその傾向は強い。
若いクラシックファンは減っているのだろうか?
このことから、ファン層を開拓しないとクラシック文化は衰退する!という声もある。
しかし、私の考えは必ずしもそうではない。
私はクラシック以外に、演劇、能、歌舞伎、落語、囲碁、将棋なども好きだが、みなオワコンといってもいい衰退文化である。
囲碁の棋士やファンが囲碁を始める人を増やしたくてルール説明の入門動画を作ったりするのはよくある。
誰でも自分が好きなもののよさを知ってほしい。同好の士を増やしたいからだ。
しかし、考えてほしい。
囲碁が好きな人にクラシックを勧めて、コンサートに行くだろうか?
クラシックが好きな人に囲碁を勧めて、囲碁を始めるだろうか?
可能性はかなり低いと思う。
能楽堂や歌舞伎座や寄席に一度も行ったことのない日本人だって多いだろう。
クラシックに限った話ではないのだ。
ではどうすればクラシックファンが増えるのか。
それはその人に出会いが訪れるのを待つしかない。
「北風と太陽」の童話と同じで、興味のない人にいくら風を吹かせても効果がない。
クラシック音楽は長い。最近は倍速文化だから、流行とは真逆の位置にある。
縁遠く感じる人がいるのも無理はない。
しかし、クラシックほど深い感動を与える音楽を私は知らない。
クラシックの凄さは
①100人以上のプロの音楽家たちが約3日間も練習を重ねて舞台に立つ。
②200年も300年も演奏されてきた音楽。
そんなジャンルは他にない。
クラシック音楽の精密さは他の音楽ジャンルには見られないものだ。
だから、マーラーやブルックナー、ショスタコーヴィチのような大編成のオーケストラ音楽を一生に一回は生で味わってほしいと思う。
生の音がいいからではない。普段録音された音楽しか聴かない人が生のオーケストラを聴いたらその迫力にびっくりすると思う。
音楽が生まれ出るダイナミズムをぜひ味わってほしい(消えていく儚さも)。
クラシック音楽を人生に必要としない人は多いと思う(私にとってクラシック音楽は中華料理やイタリアンといった料理ジャンルを上回るなくてはならないものだ)。
クラシック音楽を必要とする人は、クラシックでなければ味わえない感動や喜びを必要としているのだ。
それは歌舞伎や囲碁も同じである。代替不可能なものだろう。
だからこそ、それにハマる体験はそう簡単には訪れない。その人にとって必要不可欠になるなんてことはめったにない。
私はこの先キャンプやスキーにハマることはないだろうし、人間が一生のうちにハマれるものは限られている。
気軽にコンサートに来てほしいが、物価高で生活が苦しくなる中、未知のエンタメに投資する勇気はなかなか出ないのではないか。
サブスクのおかげで大量の映画や音楽を楽しめるようになった反面、個々の作品の価値は下がったように思う。
昔はレンタルビデオ屋で、「パルプ・フィクション」が見たいと思えば、それにお金を払っていた。わかりやすかった。
サブスクの時代はそうではない(有料オプションの映画もあるが、定額の範囲内で楽しむ人が大半だろう)。
私は17歳のときに宇野功芳という水先案内人のおかげで、周りにクラシックが好きな人は皆無だったのにクラシックを好きになれた。
バッハやハイドンの美しさを知ることができて、人生が何倍にも豊かになったと思う。
それは他の芸術も同じである。
能の面白さがわかるまでは時間がかかったが、能楽堂の雰囲気が好きなのだ。
能の上演中は時空がぐにゃっと歪む感覚がする。あの感覚は他では味わえない。
さまざまな芸術の共通点は美と感動ではないだろうか。
最近は陳腐なものも増えてきた。心の声で何でも説明してしまうドラマやアニメ。深みのないシンプルメッセージの曲。
そういうのがウケる時代なのだろう。わかりやすさ優先で、「わからないものはつまらない」という時代なのだ(このへんのことは稲田豊史『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレーコンテンツ消費の現在形』に詳しい)。
そんな流行に飽き足らず、深みを求める人が出てきたらクラシックの出番である。
今後、棋士も演奏家も本業で食べていける人が減っていく気がする。
それは抗えない時代の流れではないか。いろんなタイトル戦の賞金額が減らされたり、マニアックな企画のコンサートが減ったりするかもしれない。
趣味を持たない人も増えた。家でだらだらYouTube見てるだけでそこそこ楽しめるからだ。
(「趣味がないのが悩み」という人もいるが、なくても困らないなら無理に作らなくていい。今の生活の中に楽しんだり息抜きしたりする時間があるはずだから)
音楽の聴き方も変わってきた。聴きたい曲を選ばなくていいのだ。レコメンドで勝手に曲を選んで流してくれる。
だから「音楽が好き」と言う人に「好きなアーティストは?」と聞いても「特にいない」と答える人が増えた。昔だったらありえないことだ。
小説でも音楽でも映画でも、好きなアーティストを見つけるのは大きな楽しみの一つだ。要は自分の好みに合うスタイルやセンスを見つける喜びである。
村上春樹の『ノルウェイの森』が面白いと思ったら今度は『ねじまき鳥クロニクル』を読んでみる。昔はそうして系統立てて芸術を鑑賞したものだが、最近は「話題作だから読んだ」などが読んだ理由で、点でしか存在しなくなった。樹形図のように広がっていかないのである。
趣味というのは何かしら「凝る」要素があると思うので、「昼寝」や「居酒屋でお酒を飲む」のはやや違うように思う。
お酒が好きならいろんな缶ビールを飲み比べるとか、そういったことに凝り始めると趣味の世界である。ただの息抜きとは違っている。
クラシックに興味のなかった人をコンサートに来させるのはなかなか至難だと思う。
だが、ラ・フォル・ジュルネや「青のオーケストラ」がそのきっかけになるかもしれないし、意外と身近なところに好きになるきっかけは落ちているかもしれない。
騙されたと思ってその石を拾ってほしい。
最初はただの石ころにしか見えなくても、あなたの人生になくてはならない大切な宝物になるだろう。
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