インテリ犯の憂鬱 己の美学に散る犯人たち
優れたドラマは何回見ても面白い。ということを「相棒」初期の名作「殺人ワインセラー」を見直して思った。
当然のことでもある。脚本は「ミスター相棒」と呼んでもいい、「相棒」シリーズを代表する櫻井武晴。
櫻井さん、映画版コナンの脚本も手がけているようでびっくりした。
この回の犯人、ワイン評論家の藤巻譲(佐野史郎)は絵に描いたようなインテリ犯。
私はこういう知的な犯人が好きだ。
なぜなら、インテリ犯には犯行を正当化する美学があるからである。
人を殺しておいて美学もクソもないのだが、その“薄っぺらい”人生哲学が何とも人間らしくていいではないか。
「殺人ワインセラー」はヴィンテージが犯人の自供に関わってくる、ワイン好きにはたまらない回。
私なんか「パルトネール」が実在のワインだと思ったくらいワイン音痴だが(フランス語で「相棒」という意味らしい)、それでも蘊蓄たっぷりの数々のエピソードを堪能した。
この話の肝は「人から侮辱されたことは決して忘れないが、人を侮辱したことはすぐに忘れる」というもの。
まさに人間という生きものの真実である😂
「古畑任三郎」からもインテリ犯を2人。
まずは、私が一番好きな回と言っても過言ではない「動機の鑑定」から春峯堂の主人(澤村藤十郎)。
本来ならドラマを見て正確なセリフを引用しなくてはいけないが、そのためだけにFODに入るのはつらいので、ネットから拾ったセリフでご容赦を。
春峯堂の主人の最後の長台詞がかっこいい。
「古畑さん、あなたひとつ間違いを犯してますよ。あの時私には分かってました……どっちが本物か。知っていて、あえて本物で殴ったんです。要は何が大事で、何が大事でないかということです。
なるほど、慶長の壺には確かに歴史があります。しかし、裏を返せばただの古い壺です。それに引き換えて、いまひとつは現代最高の陶芸家が焼いた壺です。
私一人を陥れるために、私一人のために、川北百漢はあの壺を焼いたんです。
それを考えれば、どちらを犠牲にするかは……物の価値というのはそういうものなんですよ、古畑さん」
人を殺しておいて、自分を自白に追い込んだ刑事を説教。
まさにインテリ犯の面目躍如である。
次に、「汚れた王将」の米沢八段(坂東八十助)。
この人も知性派。「合理性」を何よりも重んじる米沢は、納豆の食べ方も「合理的」。
古畑に「納豆はね、醤油を入れる前にかき混ぜたほうが、水気が少ない分、より、粘り気が出ます」とお節介なアドバイス。
最後の自白も合理的。
「(感想戦で)合理的な説明ができないくらいなら、自首した方がマシだ」
ワインに対してあくまで正直であろうとした藤巻譲同様、米沢も自らの美学が足枷となって犯行を自供するのである。
インテリ犯は知性的な反面、自分が作ったルールに縛られ、柔軟な立ち居振る舞いができない。
ゆえに、刑事にそのルールとの矛盾を突かれると、逃げ延びることより己の美学を優先してあっさり自供してしまうのだ。
まあ、彼らはぐだぐだレベルの低い嘘を連ねて犯罪を隠蔽しようなどという「せこい」性根は元より持ち合わせていないのだろう。
私の知る限り、無差別殺人犯が刑事ドラマの犯人だったことはない。
犯人と被害者の接点がなければ推理しようがないし、「誰でもよかった」がクライマックスでは全然盛り上がらない。
それを思えば、インテリ犯のクライマックスはまるで歌舞伎かと思うような派手な見せ場である。
長広舌で己の美学を語る犯人を、刑事は冷めた視線で見つめる。
しかし、そこにはある種の敬意が感じ取れる。
敬意がなければ「はいはい、詳しくは署で聞かせてね」となる。
美学に酔いしれる殺人者を活かすも殺すも刑事次第なのである。
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