居心地の悪い世界にあえて身を置く
今日は2年ぶり?に能を鑑賞してきた。
最近、クラシック鑑賞の限界を感じてきた。
私は楽器の構造を知らない。
スコアも読まない。
作曲の背景も知らない。
音楽を本気で志す人が通るアプローチにことごとく背を向けてきた。
では、レビューを書くうえでの私の武器は?
それは16歳からのコンサート経験だったり、クラシック以外の豊富な芸術鑑賞体験なのかもしれない。
しかし、それだけでは到底深い理解には達しない。いいかげん洞察の浅さが気になってきた。
さて、クラシックにうるさい人はたくさんいるが、一体どれだけの人がマイルス・デイヴィスの凄さをわかっているだろう。
音楽といっても、クラシックにしか反応していないのである。
演劇や歌舞伎、能の美などはわかるはずもなく、安っぽい筋書きのドラマや映画を大絶賛しているかもしれない。
結局のところ、そういう人たちはオタクであって、芸術愛好家とは違うのだと思う。一部の芸術にしか反応を示さないのだから。
自分にとって居心地のいい世界を一回捨ててみてはどうだろう。
あえて居心地の悪い世界に身を置いてみる。
「気軽にクラシックコンサートに来て」と言うオタクの何と多いことか。
敷居を下げたい気持ちはわかるが、あなたは歌舞伎座や能楽堂に気軽に行けるのか?
自分が行き慣れた場所だから、敷居の高さに気づかなくなってるだけなのだ。
私にとっていまだ開拓していない芸術ジャンルは、宝塚、2.5次元舞台、新派、大衆演劇、吉本新喜劇くらいか?
クラシックならオーケストラや器楽よりオペラを見ていきたい。見てない名作が山ほどある。
居心地のいい空間にずっと浸っていても成長がない。
居心地の悪さが心地よさに変わる瞬間。それこそが自分の成長ではなかろうか。
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