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意識と無意識
意識せずとも行動できる(無意識)ようになるには、
意識して行動することを続けるしかないと思っている。
そんなことも考えずに無意識にもともと行動できる人は天才だとも思ってる。
今日は小さな努力の話をしようと思う。
「違い」をみせられる人と、そうじゃない人の違い
単純な例でいくと、「今度、ご飯行こうね」の一言がいい例だと思っていて。
「今度ご飯行こうね」
この言葉を言って、言われて、どれくらいの人数の人が実現できるかって想像すると、実際問題、ほとんどの人間が「社交辞令」的な意味合いで使ってると思っているんだよね。
だって、大抵の人も「ま、行かないんだろうな~」的な心理がどっかにあるし笑
それなのに、この言葉を使う意図ってなんなんだろう。
というか、多分「また会いたい」とか、「もう少し話したい」とか。「今後もこの関係性を保ちたい」っていう願望はちゃんとあるんだよね。
そう考えると、社交辞令ではないのかもしれないな、と。
(たまに全くないのに正真正銘の社交辞令で使ってる人も世の中にはいるけど)
何が言いたいかっていうと笑
「今度ご飯行こうね」を実現させるのですら、実現できない人間が多いってこと。
...この文章打ってる自分、怖いな。
単純な話だけど、こんな小さな願望でされ、というか、小さな願望こそ大切にできる人が、何かを成し遂げていくんじゃないかなと最近すごく思う。
ジブンゴト
じゃあ、お前はどうなんだ?って話から、意識、無意識の話。
これまで私はこの「ご飯行こうね」問題をそのまま放置する側の人間だったんだよね。
というか、ご飯行こうねって言って本当にちゃんとご飯行く人って、結構限られているというか、関係性に。ほんとに2、3人。
それに、本当にご飯行く人たちって、そもそもそういう属性だと思ってたんだよね。まあわかりやすく言うと「陽キャ」みたいな感じ。(超偏見のただのイメージね)
でもそうじゃないな、と思い始めたのが、ここ2、3年。
「実際に行動に移すこと」の恩恵とかを実感し始めたら、意識的に「今度ご飯行こう」問題は実現させる派になった。
だって、連絡取ろうと思ってるのに、どんどん連絡しないで放置し続けると、本当に連絡しようと思ったとき、少し憂鬱というか、躊躇する気持ちになるじゃん?、って結構単純な話で。
それに、会いたいと思ったときには会っておかないと、きっと後悔するだろうな、ってところ。
例えば、何か不幸なことがあるかもしれないし。ま、もちろんないことを願うし、ない方がいいんだけど。
でも人間いつどうなるか、なんて誰にもわからないし、だったら思い立った時にちゃんと行動できる人でいたいよね。
そんなことを思うと、あ、行動しなきゃ、動き続けないとって気持ちになる。
まあ、私が思っている「そっち側」の人は多分無意識にそういう行動をできる人間なんだろうと思っているけど。
私はまだまだ意識しないとできない側の人間。
この話はご飯に関わらず、いろんな話にも応用できて。
誰かへのお礼とか、近況の連絡とかもこの類だと思ってる。
だって、何か誰かにお世話になって、ほんの少しだけだけど、ちゃんと連絡入れてお礼言える人って、やっぱ違うなって思うもん。
結局人間関係って一番大事だと思うんだよなあ。
すべては人との繋がりだと思うわけです。
ま、自分はまだまだ意識して行動している段階だけど、無意識の領域にいつかたどり着きたいね、って話。