見方、見え方
角度を変えて見てみる。
立場を変えて見てみる。
自分の見え方、見られ方。
最近思うのです。万人に受ける人って素晴らしいな、器用だな、と。
そして、やっぱり私は器用な人間ではないな、と。
2つの組織に属すると、
時々、自分がどの立場にいる人間としてモノを言われているのか分からなくなるのです。
言われ方が悪いのかな(これは完全に他人にベクトル向けてる)。
それとも自分の理解能力が低いのかな。
ぐるぐる~~~って頭の中を巡り巡って、
最終的に「どうすればいいんだ?」っていう発想になってくる。
上手に振舞えればいいけどね、すべてがすべてうまくいくとは限らないよね。
一方では称賛され、
一方では叩かれる。
そういうことも致し方ないと思えてきます。この頃は。
組織のためと思って一方を頑張れば、
一方ではさぼっているといわれる。
両方ともできたらそらあ素晴らしすぎるね。
これは持論だけど、結局プロフェッショナルな領域に入る人は、一つのことを一生懸命やった人だと思うのです。
それは尊敬する浅田真央がそうだったように。
そして過去の自分自身の失敗からも言えるように。
器用な人間ではないから、すべては大事にはできない。
すべて頑張ってすべてプロフェッショナルだったらそりゃかっこいいけど。
2つあってどっちも頑張ったとしても、どっちも中途半端だったら意味ないじゃん。
今は耐える時期なんだと思う。
というか、正直イマサラ?と思ってしまうこともあるけれど。
でも表に立つということは、
批判も受け入れるということ。
致し方ないね。
それは。
片方を頑張ることが、どちらも頑張ることにつながることになっていると勝手に思っていたけれど、そうではなかったと思ったというか。
そうは思われていなかったというか。
どれだけ頑張っても両方から称賛されることはないんだと。
どれだけ頑張っても今の頑張りでは認められることはないんだと。
認められたいとか褒められたいとかすごく思ったりはしないけど、
でも自分の中で折り合いつけて頑張ってきたことを否定されるのってものすごく悔しいことだよね、っていう話。
結局いつもそこに行きつくよね。
「悔しい」
そんなに中途半端に見えますか?
そんなに手を抜いているように見えますか?
そんな風に思ってしまう自分も心のどこかでいるのは自分が弱い証拠。
そうやって思われているならしょうがない。
見返してやるだけですね。
(怖いね、この負けん気)
でも、昨日久しぶりにご飯を炊いて思ったんだ。
この学生生活、何回米を研いだか?って。
何回帰省したか?って。
普通と呼ばれる大学生の普通やアタリマエを捨てて、
ここまでやってきたことを否定されることほど、悔しいことはないなって。
そう思ったら、やっぱり少し勇気が出てきて。
投げ出さずに頑張ろうって思うんだ。
結局タイトルとはちょっと違う話。でもそんなことは日常茶飯事。