語学力より胆力
大学受験で英語を一通り学習して以来、時々、自分の中で英語ブームが再燃する。
そのたびに流行りの英語教材を試したり、TOEICを受験してみたりする。ただ日常生活や仕事で英語を使う機会がないため、しばらく経つとせっかくの学習の記憶が薄れていく。
使わないのだから忘れるのは当然だ。
そんな中、不意に英語が必要になる場面に遭遇することがある。例えば、外国人観光客に話しかけられたり、仕事で急に英語の資料を読まなければならなくなったり。そうした場面で自分の英語力のなさに焦りを感じ「また勉強しなきゃ!」という気持ちが再燃する。
ただ、最近気付いたことがある。磨くべきは語学力そのものではなく、「胆力」なのではないかと。
言葉が通じない相手を前にしても動じない強さ。例えば、海外旅行を計画したとき、「英語を勉強し直さなきゃ」と考えがちだが、正直、数週間の勉強で外国人と流暢に会話できるようにはならない。それならいっそ、話せないままで飛び込んでしまっても良いのではないだろうか。今の時代スマホがあれば最低限何とかなるし、言葉が通じないと分かれば相手もその前提でコミュニケーションをとろうとしてくれる。実際、何とかなってしまうものだ。
この考えを裏付ける歴史上の例として、大黒屋光太夫の話がある。彼は江戸時代の船頭だったが、嵐で漂流し、アリューシャン列島に漂着。その後、現地の人々と交流しながらロシア語を修得、最終的に皇帝であるエカチェリーナ2世との謁見を果たしたという。ペリーが来航する70年くらい前の出来事だ。
9年半の歳月を経て日本に帰還した彼の物語は、壮絶過ぎて本当に心を打たれる。
テキストも教材もない状況で、現地でロシア語を身につけたその適応力と胆力には驚かされる(そもそも、生きて戻ったことが奇跡)。
本当に必要に迫られれば語学は自然と身につくものだ。そして今の時代は、喋れなくても最低限何とかなるツールや方法が揃っている。もちろん、語学の基礎学習は重要だが、それ以上に大切なのは言葉が通じなくても怯まず、むしろ堂々と日本語を喋るくらいの「胆力」だと思う。