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高齢者の安全な薬物治療ガイドライン2015

ある方から、「人生で何がいちばんつらく情なかったか聞かせて」

と質問されました。私の60年の人生で辛く切ないことは山のようにありました。しかし個人の昔話を連ねたってあまり意味は無いでしょう。今多くの人に語るべき「辛く情けなかったこと」は、無論私の仕事のことです。これは、語り伝えるべき逸話です。

それは、私が漢方・中医学(中国伝統学を中国政府が整理統合したもの)を科学的に研究しようとしたら、前後から弾が飛んできたことです。前、つまり西洋医学から批判を受けたのは別に驚きませんでした。だって1990年代、漢方なんか呪いだと思われていましたから、「お呪いの研究をするなんて頭がおかしいんだ」と言われました。でも私はそれには驚かなかった。

私が驚いたのは、後ろからも弾が飛んできたことです。つまり、漢方界から強烈な批判を受けた。漢方を西洋医学の手法で研究するなんて、けしからん!!というのです。漢方は個の医学だ、だから統計処理をして集団でデータを出す現代西洋医学の手法で個の医学は証明出来ない、と言うのです。

しかし、私は証明してしまったのです。八味地黄丸が認知症に有効であることを示した二重盲検ランダム化比較臨床試験(DBRCT)、抑肝散が高齢者認知症の心理・行動学的症状(BPSD、認知症患者が妄想、幻覚、易怒、興奮、昼夜逆転などをおこすこと)に有効であるというランダム化比較臨床試験(RCT)、半夏厚朴湯が要介護老人で誤嚥性肺炎を減らすというRCT等々、次々に漢方薬の効果をまさに西洋医学の臨床試験の手法で証明しました。

そうやって私が成功すればするほど、漢方界の恨み辛みは高まったのです。面と向かって「こんな研究には意味が無い」という東洋医学会会長になった石川なんて言う爺さんもいましたが、大方は影でひそひそと「岩﨑には気をつけろ、あいつとは付き合うな」というわけです。そして結局、私はあること無いこと(殆どがこじつけ)を持ち出され、日本東洋医学会から追放されました。代議員、東北支部副支部長、専門医委員会東北地区委員長の肩書きを持ちながら、学会から追放されたのです。

一方現代医学からの風当たりもますます強くなりました。日本老年医学会が「高齢者の安全な薬物治療ガイドライン2015」を出したとき、私は伝統医学についての担当委員に選ばれました。私はガイドライン作成委員会が定めた方法に厳密に従って漢方の推奨度を決めたのですが、いったん老年医学会全国総会で発表された後、委員全員の「無記名投票」に掛けられたとき、私の仕事は否決されたのです。「漢方の内容は副作用だけを残し、効果は全て削る」という事になりました。

このときは、私を敵に回していたはずの日本東洋医学会などとも一時的に手を組んで老年医学会に圧力を掛け、どうにか「ガイドラインの全体からは外すが、独立した一章として漢方を取り扱う」という妥協が成立しました。このときほど、日本人というのは一流の学者であっても卑怯で嫌らしいのだ、と思ったことはありません。3年間も掛けた討議で何回も何回も議論した末の内容が、既に全国総会で発表された後、秘密投票となったら突然否決されたのです。その時noと投票した連中は、作業して討論した3年間、一度もなにも意見を出さなかったくせに!

卑怯なんです、日本人は。面と向かってはなにも言わず、無記名、つまり匿名となった途端本音をむき出しにしたのです。ガイドライン作成作業は3年も掛かり、その間何度も何度も討議の場があったのです。何故あいつらは、そこでは一切なにも言わなかったのでしょうか。何故一言も疑問を発しなかったのでしょうか。そして何故、3年間沈黙し続けたあげく、匿名投票となった途端noを突きつけたのでしょうか。

そんじょそこらのSNSに巣喰っている馬鹿どもと同じじゃないですか、これは。これこそ、私の人生で「一番辛く情けなかったこと」でした。しかし私はそれに負けなかったのです。しおしおとは逃げませんでした。とっくに険悪の仲であった日本東洋医学会や、中医学の学会である日本中医薬学会(当時は日本中医学会)に危急を知らせ、その時だけは手を結び、掛けられるだけ政治的圧力を掛け、「ガイドラインから漢方を葬り去る」事だけは阻止したのです。だからこの一件はたしかに私の人生で一番辛く情けなかったが、しかし私が誇れる一件でもありました。

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