「オランダのドイツ」氏

ごとうまこと、別名「オランダのドイツ」氏なる御仁がいる。勇敢にもわたしに向かってFBで

「間違った知識を載せるのはどうですかね 中国おしみたいですが少なくとも医学はオランダのドイツなどの影響が強くどこで中国の影響ですって言い切れますかあまり適当な事は見識を疑われますよ!」




と日本の医学史について講釈を垂れた御仁だ。なお氏の最終学歴である石巻河南高校の偏差値は35で、宮城県に103ある高等学校のうち97位だ。なんと高学歴ではないか。たかだか東北大学大学院を修了し、医学博士を取得した程度の私には及びもつかないご立派な学歴だ。

しかし、どんな御仁に対しても、謙譲の美徳を発揮して悪いことはない。おそらくこの偏差値35の宮城県で下から数えて7番目という極めて立派な学歴を有するごとうまこと氏は、「オランダやドイツ」と言いたかったのかもしれない。たまたま文字を一つ、打ち間違えたのだろう。

ところが、そうであってもこの偏差値35、宮城県の高校103校のうち下から7番目を卒業した御仁の主張は事実と異なる。日本が遣唐使の時代から幕末に至るまで、その時代時代で可能な限り速やかに中国の医学の導入に努めていたことは、私がwikipediaにきちんと文献、根拠を添えて明らかにした通りだ。無論、江戸も中期になると蘭学も入ってきたが、当時のヨーロッパ医学は、特に内科領域においては極めて水準が低かった。これは、シーボルトがもたらした当時ヨーロッパで用いられていた医薬品の記録から分かるのだ。日本の蘭方医はそれを垂涎の的にしたようだが、残念ながら今日から見て、シーボルトがもたらした「医薬品」なるものは当時中国や日本で使われていた生薬の足元にも及ばない、粗雑なものだった。

無論私はこうした日本の医学史をほんの少しだけ知っているだけのだが、残念なことに偏差値35の高校を出たごとうまこと氏が主張する「オランダのドイツ」は存じ上げなかったというわけだ。

いや、学歴で人を判断するのは、宜しくないことだ。

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