ブッダが変えたこと、変えられなかったこと(仏教とれいわを関連づけてみる)
要略
1。原始仏教はバラモン教が定める「生まれつきの階級差別」を一部否定した。
2。原始仏教は女性の入門や悟りを認めた
3。だがどちらにも一定の限界があった
お寺の講話を投稿した人がいました。その時私は「仏教のことをこのグループに投稿してもいいが、れいわの活動や目指すものなどと関連づけて論じてはどうか」とコメントしたのです。それで、自分でそれをやってみます。
仏教は紀元前500年ごろ、今のネパールあたりにあった小さな部族国家に生まれたガウタマ・シッタールダ(ゴータマ・シッダアッダ)という人が始めたことになっています。なっていますというのは、今のところそれを明白に証明するものもないが、さりとて否定する証拠もないので、とりあえずそうだとしておくのです。ガウタマシッタールダはサンスクリット語、ゴータマシッダアッダはパーリ語発音ですが、以下の文章ではブッダとします。
ブッダが生きていた紀元前500年ごろの北インドはアーリア人が支配する世界でした。アーリア人は元々、今のトルコのあたりにいた遊牧、狩猟、交易、戦争で生活していた人々です。遊牧、狩猟、交易、戦争で主役となるのは男性ですから、当然当時のアーリア人社会は明白な男尊女卑でした。
さて、ブッダが生きた時代は古来最高支配者階級であった司祭であるバラモン階級の絶対的権威が低下し、軍人であるクシャトリアや商人であるヴァイシャと言った階級の人々の社会勢力が増した時代でした。ブッダ本人もクシャトリアの生まれです。
そうした中、従来のバラモン教に飽き足らない人々の中から、様々な思想が生まれました。そうした当時新しく起こった思想の中で現代にまで続いているのは仏教とジャイナ教だけです。しかし他の思想のいくつかは、仏典がそうした新興思想を六師外道と呼んで論破した文章から、その内容がある程度わかります。無論仏典はそうした思想を論破しようとしているのですが、読んでみるとこれらには共通するところがあるのです。その最大の共通点が、従来のバラモン教に定められた生まれつきの階級差別を否定したことでした。
もっとも仏教における階級差別否定は、全面的ではありませんでした。ブッダの非常に有名な言葉に「生まれを問うな、行いを問え」というのがあります。確かにこれは言葉だけ読むと階級を否定しているように取れます。しかし実は、ブッダが「生まれつきの階級は関係ない」と言ったのは現実社会ではなく、出家と悟りに関してでした。
バラモン教では司祭になれるのはバラモンの家の人間だけです。バラモン階級の人間でなければ司祭、バラモンにはなれません。一方ブッダは「理法を求めるものは誰でも私の教えを聞いて理解することができるし、理法を完全に会得すれば誰でも悟りを得ることができる」と言いました。実際、当時は尼僧の集団もいたし、また最下級であるシュードラ出身の出家者が悟ったという逸話も残っています。
ブッダの僧団では常に先に入団した人間から順位が上だったのであって、出自がシュードラでも修行が長い人はバラモンやクシャトリヤ出身で出家したばかりの人より尊いとされました。しかし仏典の記載をもとに出家僧の出身階層を調べた研究があって、それによるとクシャトリヤが最多、ついでヴァイシャでした。シュードラや、さらにその下のダリッド(いずれの階級にも当て嵌まらない最下層)出身というのは少数でした。
一方ブッダは現実社会において身分の差が存在することは否定しませんでした。そこまで否定してしまうと教団が社会から排斥され、存続できなくなると考えたのでしょう。しかしブッダは、その人がバラモンに生まれたりクシャトリヤに生まれたりするのは、前世の業によるのだから、たとえ今バラモンとかクシャトリヤであっても死んだ後何に生まれ変わるかは今の人生で善業をどれだけ積むかで変わるのだ、今バラモン階級の人も、いや神でさえ、今の生でどのような行いをするかで来世は変わると主張しました。神というものは、前世で積んだ善業が非常に多く、徳高い生を営んだから今は神になっているのであって、今は神であってもこの生で徳を積まなければ次は何に生まれるかわからんというのです。
無論、今輪廻なんか信じている人はほとんどいません。しかし輪廻という観念そのものは当時の北インドにでは古くから広く常識だったものです。その輪廻についてバラモン教でも業によって輪廻するとは言いますが、バラモン教の場合はバラモンに頼んで祭祀を行うことで善業を神に捧げたことになります。そのようなバラモンの力による祭祀を神に捧げることにより来世でよりよい立場に生まれることが出来る。そう言う思想が定着していたからこそバラモンは社会に君臨したわけですが、ブッダはそうではないと言ったのです。
輪廻を決定する業というのは祭祀ではない。どんな立派な祭祀を行おうが、日頃その人が善なる行動をしていればそれは善業であり、その反対は悪業だ、ブッダはそう言いました。王や大貴族が行う祭祀について、ブッダが具体的に批判した言葉があります。彼らはバラモン僧にしたがって大規模な祭祀を行うが、そこで多くの牛や馬が犠牲として殺される。牛馬と言えども生きとし生けるものであり、我々人間と何が違うのか。そうした生きものを大量に殺して祭祀を挙げても、それは善業ではない。
あくまで仏典による情報ですが、当時北インドに栄えた新興哲学の中には、善悪などという概念は存在しないと主張する流派や、完全な唯物論で、そもそも輪廻などないと主張する一派もあったようです。しかし当時輪廻という概念がa prioriに存在した中で、「善悪を否定する」とか「完全な唯物論を主張する」という事になると、要するに善悪という概念が消失してしまいます。何万人殺したって別にそれで本人が何ら困るわけじゃない、と言うことになるわけです。
「それは違う」とブッダは主張したのです。おそらく彼は輪廻という概念は、当時の、つまり紀元前500年ほど前の北インドに生息していたアーリア人の一人として、なんとなく当然と思っていたようです。輪廻を否定するという考えはブッダにはありませんでした。しかしブッダの新規性は、その輪廻の原因が、バラモンという司祭を通じた祭祀によるのではなく、その人の日々の行動なのだと主張したことです。それなら、自分の階級がなんであれ、バラモンだろうがシュードラだろうが、人間として正しく生きればそれで死んだ後はよい立場に生まれ変わる。そればかりか、シュードラ(奴隷)だろうがさらにその下のダリッド、つまり認められた身分階層から外れた最下層であろうが、ブッダが説く理法、つまりこの世のあり方を理解するのに何の差し障りもないし、それが体得出来ればだれでもブッダ同様悟りを得ることが出来る、しかもそこには男女の差も存在しない、と言うのがブッダの主張の明らかな新規性でした。
後年のブッダは、かなり裕福だったようです。若い頃は密林の木の元で嵐や雷にも動じず瞑想したブッダでしたが、相談が大きくなるにつれ、王や大貴族、大商人達が寄進する荘園などを維持する必要が生じ、かつ自分が死んだ後のことまで考えなければならなくなりました。そのあたりの実に人間くさい晩年のブッダの姿は、「マハーパリニッパンナスートラ」、邦訳「ブッダ最後の旅、岩波文庫、中村元訳」に生々と記されています。
しかしブッダにもそうした時代や社会による制約はありましたが、彼は少なくともそれまでのバラモン教が支配する社会とは明らかに対立する以下の3点を主張しました。
1. ブッダのもとで修行し、悟りを得るについては、バラモン教が主張する社会階級や男女の差は一切関係ない。
2. 輪廻はその人の日々の行いによるものであって、祭祀によるものではない。
3. 善悪は存在する。しかし何が善で何が悪であるかは、バラモン教の司祭が主張するような祭祀の多寡で決まるのではなく、「ある事を行ってからずっと、いくら言葉で偽っても己の心底では後悔する行いは悪であり、その言動を後々まで心の奥底まで照らしても、ああ、ああしたことはよかったと言える言動は善である」と善悪を定義した。
この3点において、まさに彼は傑出しており、それはまず北インド社会を変え、そして世界を変えました。しかしながら、ブッダと言えども、当時の社会慣習・規範を全面的に否定することは出来なかった、妥協をしたのだという事も同時に理解すべきです。