
人々は何故逃げるのか
今、私の身の回りから、次々に人が去って行きます。去って行く人々は、まさに将来を嘱望されている人々です。
例えばかつて私と同級生だった。その人が大学院生時代、私がその人を指導した。私の論文の共著者になった。
こう言った「今更消せない過去」によって、今まさにこれからのし上がろうとする人々が頭を抱えています。彼らはこう言われるのです。
お前はこんな人間と関係があるのか!
バッハのマタイ受難曲でも一番感動的な部分が、ペテロによるキリストの否定です。
キリストが磔にされ殺された後、群衆がペテロを指さし、
「お前もあいつの一味だった」と言います。それに対しペテロは狼狽え、
いや、私はその人なんか知らない、と三度言います。
Ich kenne des Menschen nicht(イッヒ ケンネ デス メンシェン ニヒト).
彼が三度そう答えたとき、鶏が鳴きます。そこでペテロはキリストが殺される前、「あなたは私を三度否定し、その時鶏が鳴くであろう」と預言したことを思い出し、痛ましく泣きました。
バッハはプロテスタントでしたから、全編をラテン語ではなくドイツ語で、つまりこの曲を聴く全ての人々が解る言葉で書いています。
この逸話は無論脚色されてはいるでしょうが、あり得ない話ではないかも知れません。自分が逮捕され、殺害されるのが逃れがたいと悟ったキリストがペテロに対し、半ば自暴自棄になって「どうせお前も俺が殺されたら俺を裏切るだろう」と言ったことは、十分可能性があると私は思います。この場面ではむしろキリスト本人より、ペテロの真情に焦点が当てられています。彼は群衆に詰め寄られ、心から信じていた我が師を思わず「知らない」と、それも三回もそう言ってしまった。それに気がついたときの彼の慟哭にこの曲はフォーカスを置いています。
まあ良いですよ、誰が私を無視したって。彼らのうち何人がいつか私を無視したことを悔いてくれるかなんか、私は知りませんが。