昔の戦争、今の戦争
大昔は戦争と言ってもたいしたことはなかった、今は核兵器があるではないかという人がいる。
だが秦が趙と戦ったとき、秦の将軍白起は投降した趙の将兵30万(45万とも言われる)を生き埋めにした。秦と趙の戦いは熾烈を極め、白起率いる秦軍は辛うじて趙を破ったが、秦軍も殆ど全ての兵力を失っていたので、捕虜が反乱を起こしたら負けると判断したからだ。
後に白起は秦の照王から死を賜った。「儂は一生秦のために戦ったのに何故このような羽目に」と彼は嘆いたが、結局「ある戦いで儂は地脈を断った。あれがいけなかったのだ」と言って死んだ。しかし彼の伝記を史記に残した司馬遷は冷徹に「白起は投降した無数の将兵を生き埋めにして殺した。地脈を断ったから死を賜る運命になったのではない」と断じている。
照王の息子が始皇帝である。中国統一を間近に控えた秦にとって、あまりにも強力な将軍白起は警戒されたのだろう。しかし司馬遷の指摘は的を得ている。
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