教科書が読めないってどういうこと? うちの子も実は読めてない!?
先日、X(旧Twitter)で衝撃を受けた。
なんと教科書の音読ができて、内容を理解できる子はクラスに2、3人しかいないらしい。
9割の子は、文字を読めても内容を理解できていない現象が起きているというのだ。
なんて怖い記事だ……と思った瞬間、ハタと気づいた。
そういえば2年生のわが子も、文章問題の文字は読めるが内容の理解が難しいではないか……!
文を読む=内容を理解する に到達していない
わが家の事例を紹介する。
〈事例1 算数〉
文章を読んで雰囲気で式を書いてみた娘が、ポカーンとした表情を浮かべている。
母親の私も、35から56を引こうとする暴挙にポカーンとしてしまった。
「まず、どっちの数が多いの?」
「えっと……ジャガイモ」
「数の違いを調べるときは足し算?引き算?」
「引き算」
「じゃあ56から35を引いたら答えが分かるんじゃない?」
「あ!そういうこと?ジャガイモがいくつ多いって聞いてくれたらいいのに!」
(それを問われているんだよ!)
〈事例2 国語〉
教科書を音読をしたあとに
「ママ、このお話って結局どういうこと?」
と、ナチュラルに聞く娘。
「うん?今、全部読んだよね?読んでみてどう思ったの?」
「だーかーら、読んでもよく分からないんだって」
「なんだって……?」
作品は有名な『スイミー』
「みんなで一緒に泳いで、どうして大きな魚を作り出そうとしたの?」
「大きな魚がみんなを食べちゃうからどこかに行ってほしかったんだよ、大きい魚って怖いじゃん?」
「あぁ、そういうこと?そういうのも全部書いてくれないと分からないよね~」
(魚たち、みんなキャッキャとしゃべってたでしょ!)
と母は嘆いた。
読んでも理解できないのはなぜ?
音読しても記憶に残らない原因として考えられるのは
・声を出すことに集中しすぎる。
・自分の声を聴いて頭に入れる脳の機能が未熟なため
上記2点であると言われている。
音読は目の前の文字を声に出して意味を持った音にし、文章を目で追う高度な能力。
字を見て記憶の中からその字にあった意味を探し、頭の中でイメージして声に乗せる。
もし、頭の中にイメージができていないと一文字ずつ読んでしまうことになり、内容を理解して読むまでには至らないというわけだ。
解決方法としては
・内容を考えられるスピードで音読する。
・指差ししながら音読し、どこの文字を読んでいるのか意識させる。
・早く読むより正確に読むことにこだわる。
・間違っている部分は数回繰り返す。
これまで私は娘に「考えながら読んでごらん」としか言ってこなかった。
このフワッとした指導では
「考えるって何を?ママは何言っているんだろう……」
となっていた可能性が高い。
目で字を追うのが苦手な子もいる。
子どもがどこでつまずいているのか、親の観察力の見せどころだ。
参照文献:https://kyoiku.sho.jp/20182/
実践 できないことはとりあえず練習!
『スイミーは泳いだ。暗い 海の底を』
という作中の一文から私は
「暗い場所を泳ぐならどんな風に泳ぐと思う?」
と娘に問いかけた。
「スイスイ泳げるのかな~?」
「暗いから…スイスイ泳ぐのは無理じゃない?」
「そうかもしれないね、じゃあワクワク泳いでいるかな?海の底ってどんな雰囲気だと思う?」
と、具体的に想像しやすいワードを投げかけた。
もし脳内に海の底のイメージがないなら、一緒に写真を見る。
想像するにしても材料がないと、難しい。
娘に必要なのは、文字とイメージがつながり合うこと。
知ってるよね?分かってるよね?の前提を多く娘に押しつけていたようで、申し訳ないことをしてしまった。
分からないのに「なんでできない!?」って言われても困っちゃうよね。
ここで一つ、疑問が浮かんだ。
娘にはもともと想像力がなかったのだろうか。
想像力を必要としない動画コンテンツ
みんな大好きYouTube、そしてアニメ。
「YouTube見ていい……?」
と、1日に何回聞かれることか。
想像力が鍛えられてないのには、動画コンテンツが一つの原因ではないかと私は思った。
映像はすばらしい。
見ているだけで絵や音楽、登場人物の表情、セリフの抑揚でさまざまな情報を瞬時に伝える。
それに引き換え文字媒体は、自分で読み解かなくてはいけない。
小説に慣れ親しんでいると思考はストレスなく進む。
だが、生まれたときから周囲に映像が溢れていたわが子にしてみれば
「え……そんなに考えなきゃ本って読めないの……?大変じゃない?」
と思うのは無理からぬこと。
分かりやすく、努力しなくても楽しめて次々と興味のあるものが湧いて出てくる、端的に言って最高のコンテンツだ。
そりゃあスティーブジョブズが自分の子にスマホを触らせなかったわけだよね!
映像の楽しさや容易さを知ってしまった子どもたちに必要なのは「考えるきっかけ」
考える力があってこそ人間であるのに、このままではうちの子は人間としての矜持を保てない……!
病院の待ち時間や静かにしてほしいとき、タブレットをそっと子どもに渡していた私だが、このままではよくないと対策を立てた。
対策① ジブリを見よう!
名作に頼ることにした。
一緒に映画を映画を観ながら、または観たあとで
「宗助はなんであのとき泣いていたの?」(崖の上のポニョ)
と、子どもが抱いた疑問を一緒に考える。
「娘ちゃんはどう思ったの?」と。
意識したのは
・正解を出さなくてはいけないと思っている様子だったので
娘の考えで構わないことを伝える。
・子どもが思考した過程と導きだした答えを大いに褒める
・考えて出した答えは決して否定せず、全肯定し安心して表出してもらう
ようにする。
結果は……
上記を繰り返すと娘は「これってこういうこと?」と疑問を私に丸投げする前に少し考えるようになった!進歩!
副作用としてジブリオタクになった。(母は嬉しいが)
対策② 強制的なアウトプット
YouTubeを見ているとき、子どもが笑っていたなら
「なんで笑っているの?」
「〇〇さんが爆弾を爆発させててさ~!」(マイクラの話)
「それってどういうこと?」
意識したのは
・動画の内容のアウトプットを求めた。
・内容に紐づけて、関連する話をする。(爆弾→火薬→花火みたいな)
結果は……
動画の内容が右から左へ流れなくなった気がする。(当社比)
「動画で見たのと同じやつ作ってみた!すごいでしょ!」と実生活でも生かしている面が見られ、自分の糧にできているようだ。
子どもたちの置かれている状況を理解しないとね
映像に慣れ親しんだ子どもたちにとって、ストーリーを読み解くのは大人が思っているより大変なことだと知らなかった。
これからの時代は、漢字が書けなくても文章が書けなくても、スマホに向かって話しかけたらAIイイ感じに処理してくれる。
だから必要なのは思考力
「なぜ?どうして?」
が湧き上がった瞬間を逃さず、親子で話し合う。
聴覚と視覚だけに頼らず、五感をフルに使う経験を重要視する。
日常的にできたらいいけれど、現実は難しい。
だけど、意識しないのとするのでは大いに違う。
子どもと一緒に家に帰る道すがら、一緒にお風呂に入っているとき、子どもとの対話が何より大事にしようと、1人の母は思ったのでした。