【質問】「ハーフ・アンド・ハーフ」はアドラーの用語ですか?
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今回は、ひとつ質問が届いています。
[Q1] 「幸せな劣等感」のアドラー心理学関連図書で紹介されている「生きるために大切なこと」の巻末にある解説に、「ハーフ・アンド・ハーフ」という言葉が出てきます。 この考え方も、アドラーの理論の一つなのでしょうか。 出来れば、もう少し詳しく知りたいです。よろしくお願いします。
私が調べた限りでは、アドラーが「ハーフ・アンド・ハーフ (half-and-half)」という用語を特別な意味で使った例はありませんでした。ですからそのままの「半々」という意味で解釈するのがいいと思います。
『生きるために大切なこと (The Science of Living, 1930, Routledge) 』の解説「アドラーとその仕事について (A note on the author and his work)」は、フィレップ・メレという人が書いています。この人については「作家・ジャーナリスト。アドラー心理学に造詣が深い」と書いてあります。私がこの人名で調べても詳しいことはわかりませんでした。
この解説者が「ハーフ・アンド・ハーフ」の言葉で示したかったことは、割と重要なことだと思いました。アドラー心理学の理論では、個人はそれぞれに自己理想と理想的な世界のイメージを持ちます。その一方で、現実の社会の中で付き合う人々は、その理想とはかけ離れている場合が多くあります。そのときに持つべき態度として「ハーフ・アンド・ハーフ」の姿勢がいいのではないかということです。それは、つまり、自分の理想も正しいし、現実の社会や人々も同じように正しい。自分の現実もそれ以外の現実も同じように認めるという姿勢です。どちらの価値も下げる必要はないということです。
彼はこのようにも書いています。
仕事人生における「ハーフ・アンド・ハーフ」とは、現実を認識するの同時に、現実的な手法でその現実と対抗するということだ。そして現実的な手法とは、他者と協力することである。
社会とは「人類の議会」であり、この議会に休暇はなく、この議会の決定には最終的にすべての議員が従わなければならない。この議会は人間社会のいたるところに存在する。すべての人が発言し、すべての人が顔を合わせる。それは礼儀正しい話し合いになるかもしれないし、言い争いになるかもしれない。知的な会話になるかもしれないし、愚かな会話になるかもしれない。それでも話し合うことは大切だ。
メレが「ハーフ・アンド・ハーフ」という用語に特別な意味を載せたということはありません。しかし、自己と他者、自己と社会という関係を考えるときに、キーとなる考え方かもしれません。
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