【アドラー心理学の理論】#07 全体論:無意識が決めるのか、個人が決めるのか
月曜日はアドラー心理学のトピックで書いています。定期購読者が増えるたびに、感謝を込めてその日の記事を全文公開にしています。
4月12日(木)から早稲田大学エクステンションセンター中野校で「アドラー心理学入門」(全8回)が開講しました。この連載では、講座の内容を同時並行でお伝えしていこうと思います。講座に参加できない方にも、その雰囲気が伝わればいいなと思っています。
前回は、アドラーが提案した「個人(individual)」という概念を取り上げました。私たちは、様々な試練と機会を得る世界の中で生きていて、感情を持ち、認知したり思考したりし、そして行動していきます。感情、認知、行動はお互いに矛盾したり、葛藤したりするかもしれないけれども、最終的には「個人」というものが統制しているはずです。その意味でアドラー心理学では全体論という立場を採用するのです。
こんなワークをやってみましょう。
ちょっと後悔していること、または、ちょっと失敗してしまったなあ、と思っていることをひとつ取り上げてメモします。ジャンケンで順番を決めて、ひとりずつ発表していきます。発表を聞いた左隣の人は、そのことに対して「無意識にやってしまったんですね」と言います。
たとえば、「大切な会合がある日に、寝坊して遅刻してしまった」というような失敗です。それを聞いた左隣の人は、「無意識にやってしまったんですね」と言ってあげます。言われた人はどんな感じがしたかを言います。
たとえば「そうだよね。無意識にやってしまったんだよね。私が悪いわけじゃない」と言ってホッとするかもしれません。
これをひと回りやったあとで、今度は左隣の人のセリフを変えます。左隣の人は失敗を聞いてから「全部あなたが決めたんですね」というのです。そして失敗した人は「そうなんです。全部私が決めました」というセリフを言います。そうした上でどんな気持ちになったかを言ってもらいます。
今度は、寝坊したことも「全部私自身が決めた」ということになります。これがアドラー心理学の採用する全体論の考え方です。
感想を聞いてみると人によって様々です。「無意識のせいですよね」と言われて救われた感じがする人がいます。「全部自分で決めた」と言われると責められている感じがするという人もいます。
その一方で「全部自分で決めた」と言われて、すっきりした気持ちになったという人もいます。無意識のせいにするのは逃げているようで嫌だという人もいます。
「無意識のせい」でも「全部自分が決めた」でも、どちらも「かのように理解」にすぎません。どちらを採用してもいいのです。それこそあなた自身が選べばいいことなのです。どちらが自分にぴったりくるか、自分に役に立ちそうかということで決めていいのです。
今は無意識さんのせいにしておこうというのであればそうすればいいですし、全部自分が決めたこととして次の一歩を考えようというのであれば、そうすればいいのです。それはあなた自身が決めていいのです。
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