『禽獣』読書感想文
web上の読書会に提出した感想文を添付します。
タイトル:彼
伊豆の踊子で、再生されは私の自我はどこへ向かう?
「愛情の差別をつけるくらいならば、なんで動物と暮そうぞ。人間という結構なものがあるのに…」
彼はわずかな欲目を憎み、薄情な女中と動物と暮らす。
悟性と構想力の間の趣味に戯れ「美」に対する理想を「人工的」な空間に構築する彼。
新しい小鳥が来た日には生活がみずみずしい思いで満たされる一方「自然的」な人間からはそのようなものを受け取ることが出来ない彼。
山からくる雛鳥の差餌の為ろくに外出もせず、雑種の仔犬を呆気なく捨てる一方で菊戴を懸命に看病する彼。
「生命」に対し感情をもたず、美のお眼鏡にかなわぬ「物」を玩具にし、理想の純潔に生きる動物虐待的な愛護者を、彼は「人間の悲劇の象徴」として許す。
一見して究極のエゴイストのようである彼だが、良種へ改良された鋳型のティーカップ・プードルを神のような爽やかさで愛玩する我々と何か本質的に違いはあるのか?
グロテスクなリアリティを感じる…
川端はこの小説を書くに辺り三人称のような「彼」を選択した。
それにしても、あの突然すぎるオチの凄まじさといったら!
①私は驚かされた
②彼は驚かされた
これでは言葉への距離が全く違う。
小説家って、言葉の奥にある人間の心を摘発する悪魔のようだ。それぐらいの業があってこそ小説を書く必然に至る訳だが、そんな川端先生でもこの小説を書くに辺り一人称を使うことを躊躇われたか?
しかし、彼とは誰か?
人間は十で禽獣、二十で発狂とも言う(岡倉天心『茶の本』)
川端康成は人間の心の奥に隠蔽された自我の一部を魔界から人界へひっぱりだし、我々に現わして見せるのだ。
おわり