天才論(上巻256-277頁)

 天才とは、芸術に規則を与える才能(自然の賜物〔天分〕)のことである。

 ①天才は、何か或るものに対して一定の規則が決して与えられ得ないようなものを産出する一瞬の才能である。即ち天才は、なんらかの規則に従って習得され得るものに対する生得の器用さのようなものではない。それだから独創こそ、天才の第一の特質でなければならない。

②しかしまったく無意味な、取るに足りない独創というものもあり得るから、天才の所産は同時に模範即ち範例を示すものでなければならない、従って模倣によって生じたものではなくて、他の人達に対して判定の基準ないし規則の用をなすものでなければならない。

③天才は、作品を産出する次第をみずから記述したり、学的に拳示するけとができない、むしろ天才自信が自然として規則を与えるのである。それだからかかる所産の創作者は、この作品を自分の天才に負うているにも拘らず、その着想がどうして彼のうちに生じたかを自分でも知らないのである。

 自然の賜物〔天才〕が芸術(美的技術)に規則を与えねばならないとすると、その規則は、彼の作品から抽出されたものでなければならない、そして他の人達はかかる作品を目安にしてそれぞれ自分の才能を試してみるのであるが、しかしその場合にこの作品を臨模のための模範としてではなく、模倣のための模範として用いるのである。

 自然美は美しい物であり、芸術美は或る物の美しい表現である。
 美しい物を判定するには趣味を必要とし、美しい物を産出する(美的技術)ためには、天才が必要である。

 ①天才は芸術のための才能であり、学のための才能ではない、学においては、明白に知られている規則が先にあり、これがその学の方法を規定せねばならないからである。

 ②天才は芸術的才能であるから、作品の目的として或る一定の概念(悟性)を前提するわけであるが、しかしこの概念を表示するために素材の表象(直観の表象)を前提者、従ってまた構想力と悟性との関係を前提するのである。

 ③天才は或る一定の概念に対して豊富な素材を含むような美学的理念を表明し或いは表現するところに発揮されるのである。従って天才にあっては、構想力は規則による指導から自由であるにも拘らず、しかしまた与えられた概念を合目的に表示するのである。

 ④構想力と悟性の合法則性との自由な合致は意図されたものでないが、それにも拘らずこの主観的合目的性は、これら両つの能力の間の或る種の釣合との調和とを前提するのであり、これを産出し得るのは実に主観における自然だけである。

 上述の前提に従うと、ー天才は、自然によって或る主観に与えられた才能が、この主観の認識能力〔構想力と悟性〕の自由な使用において開示するところの模範的独創性にほかならない。

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