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「経験すること」はやはり大事だ。

実際に体験するのとそうでないのとでは表現の迫力が違うという。直接、経験したことがなくても今はいろいろな情報があるので知っているということも多いと思う。仮想現実まであるから、直接現地に行かなくてもよいとも言われた。
しかし本当にそうだろうか。石黒圭『語彙力を鍛える』(光文社新書 2016年)を読んでいたところ、このような例題があった。
「和食の名店で、おいしいエビフライを食べたときの感動を文章にしてみました。1~9に当てはまるオノマトペを考えて入れてください。
・職人さんがパン粉をまぶした車海老を油の中に[1]と入れる。[2]という音を立てたかと思うと、[3]衣がきつね色に。目の前で[4]と揚げたエビフライ。[5]のところを早速いただく。一口噛むと[6]とした衣の歯ごたえに[7]とした身の食感が絶妙のハーモニーを奏でる。その切り口からは[8]湯気が上がって、お口の中も[9]。これならいくつでも食べてしまいそう」(219-220ページ)

言語表現には自信がある方だけど、これは一瞬詰まった。私は自分で料理をするが、揚げ物を作ったことはない。少人数分なら買った方が早いし、危ない上後始末も大変だ。
本気で生まれてこの方、自分で揚げ物をしたことがないのだ。

人がやっているのを見たことはもちろんある。しかしその程度の知識で上記の問題を解こうとすると(つまり場面を描写しようとすると)、月並みな表現しか出てこないのである。

もちろん文章表現に正解はない。荻原朔太郎の詩のように前衛的なオノマトペを入れてもよいだろう。しかしそういう表現が許されるのは、場面を選ぶだろう。店の紹介などには間違いなく向かない。

多くの人に臨場感のある情報を伝えるには、その場を経験しないといけない。そこで自分が感じたことを適切な言葉で伝えてこそ、よい表現ができると感じた。

読書量の多さに加え、経験の豊富さも語彙の引き出しを増やすことにつながる。

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こひろ@こぎん刺しのテディベア作家kogin*bear style
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