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開きすぎず閉じすぎず

読書の目的は年代ごとに変わっている。

周りの目を避けるため。
なりたい自分になるため。
知らないことを知るため。
違う考えの人がいることを理解するため。

これは私が経験してきた、読書の目的。

漫画やテレビやゲームは許されなかったけど、本はお金を出してもらえた。
もしくは図書館で好きなだけ読めた。
外を走り回るより、うちで遊ぶタイプの静かな子どもだった。
小さいときからそう、自然に本に親しんできた。

中学生の頃は、外に出るのにイヤホンで音楽を聴いて本を読まないと出られなかった。
周りから陰口や悪口を言われるから。実際、外で同じ学校の生徒に会うと聞こえよがしに何か言われたり、嗤われたり、わざわざそばに来て「なにこいつーw」といってくるものもいた。
だから、自分の世界に没頭しないといられなかった。

高校生から大学生になると、自分の世界を作るために読書するようになった。特に近代文学作品に惹かれた。夏目漱石、太宰治、三島由紀夫。
そこに書かれている世界すべてが好きで、岩波文庫の緑や新潮文庫で出ている近代文学はすべて読む勢いで読んでいた。
人生経験がないから視野は狭いしプライドは変に高い。でも、若いゆえの知的な体力はある。
こういう読み方はこの年代でないとできないし、この年代で読書しないと大人になってもしないだろうと思う。

大学院で日本史を研究していたので、関連文献はとにかく読んだ。異分野でも自分のテーマに関係がありそう、と思えば読んだし、扱う時代が違っても興味を惹かれれば読む。
実際は活字になってない史料を読むことが多かったが。

その後。社会人になってからは専門分野や「自分らしさ」の桎梏が外れ、興味のあるものはジャンルや分野を問わずなんでも読むようになった。
ノンフィクションの方が多いかもしれない。
書店や図書館の棚を歩き回って手に取る本は、その時の自分の心を映すように感じる。

これからどう変わるかわからない。多分、現在の状況を知るのは、もっと先になってからだろう。


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こひろ@こぎん刺しのテディベア作家kogin*bear style
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