ウトヤ島、7月22日を観て
2011年7月22日に起こったノルウェー連続テロ事件。
首都オスロにある庁舎群での爆破テロでは8名が死亡。
それに続いたウトヤ島の銃乱射テロでは労働党・青年部の10代の若者たち69名が殺害された。
「ウトヤ島、7月22日」でははぐれた妹を捜すカヤを主人公に、
ウトヤ島での銃撃事件の様子がまざまざと描かれている。
700人の学生が集まるサマーキャンプに参加した姉のカヤと妹のエミリエ。
映画は二人の言い争うシーンから始まる。散らかしたゴミも片付けずに水遊びをし、
濡れた格好のままテントに入るエミリエ。カヤは庁舎群でのテロに周囲がショックを受けているなか平気ではしゃいでいるエミリエに注意するが、エミリアは反抗的な態度を崩さない。しっかり者の姉と自由奔放な妹。ありがちな関係性だろう。
カヤは姉らしく最後までエミリエのことを気遣っていたが、妹の方はどうだったのだろう。無視を決めこむエミリエに折れて一人でテントを離れカヤは仲間のもとへ向かう。談笑しながらワッフルを食べていると…
突如犯人の銃声が響き始め、ウトヤ島はまさに地獄へと化していった。
はじめは仲間と一緒に逃げていたカヤだが、エミリエを探すためにテントへと戻る。
ここでもカヤの面倒見のよい性格が発揮されている。
テントの前でうずくまっている少年を見つけたカヤは危険を顧みずに声をかけた。
テントの中にもエミリエはいなかった。カヤは再び森へ逃げるが、
そこには肩を銃で撃たれ、動くこともできずにひとり倒れている少女が。
カヤはこれも無視することができない。出血多量で衰弱していく少女の横で
家族の話に耳を傾けつつ、必死に体を暖めるがついには息絶えてしまう。
その後カヤは浜辺の崖の窪みに隠れ、出会った少年と将来について語らい、
なんとか落ち着きを取り戻す。
しかしエミリエへの心配は頭を離れない。再び浜辺を彷徨い、エミリエの姿を捜す。
だが、そこで見つけたのは先ほどの黄色いコートを着た少年が息絶えている姿だった。 ここでカヤの心ももはや限界を向かえたのだろう。
パニックに陥るカヤの頭を、銃弾が撃ち抜いた。
すぐそこまで来ていた救助のボートにカメラが乗り込み、
そこにいた妹・エミリエの姿を映してこの映画は終わる。
カヤの死と助かったエミリエ
エミリエはどの時点でこの救助ボートに乗っていたのだろう。
カヤが森やキャンプ場でエミリエを探していた時点で既に助かっていたのだろうか。映画監督はこの映画はドキュメンタリーではないと公言している。
私が思うに、この映画は「自らの身を呈して果敢に危険に立ち向かい、見事に子供たちを救い出す」といった形のよくあるヒーロー映画の流れをなぞりつつ、救おうとしたものの亡くなっていた黄色いコートの少年、母親に会いたいと言いながら息絶えていった森の中の少女、そして姉の気苦労も知らずに助かっていた妹と、その勇敢な行動も報われずに、絶望の中死んでいったカヤ。こうした不条理を何重にも重ねて描き出すことで、ウトヤ島テロ事件の悲惨さ、遺族が感じたであろうやるせなさ、無力感を観客に具体性をもった形で感じさせたかったのではないだろうか。
犠牲にされる少数の命
国会議員になりたいと話していたカヤ。
この凄まじい恐怖の中でさえ他人を気遣い、救うことのできる彼女が殺されずに成長し、この国を動かす立場に立っていればきっと素晴らしいリーダーシップを発揮していたことでしょう。
69名もの未来ある若者の命を奪い、300名もを超える子供たちに深刻な心的外傷を負わせたこの事件は、「移民から国を救うため」という大義名分があったとしても、決して許されることではないです。
近年はこのような大義名分を掲げた大量殺人事件が多いですが、
社会や政府に何かを訴えるためならば、少数の命を殺害しても許される、という風潮が存在することはとても悲しいことです。
このような事件に関わらず、より一人一人の命が尊重され、護られる
そんな社会になっていくことを望みます。
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