映画館、タイムスリップ

仄暗い階段を降りたところにある古びた映画館。
学生料金ではなくなったことに一抹の淋しさを覚えながらも入場券を買う。
髪を結んで、まだあどけなさの残る女性に券を渡して入り口をくぐる。
館内の光量は、階段よりは少し明るいものの百貨店などではありえないほど暗い。
今日のラインナップは『アデルブルーは熱い色』と『君の名前で僕を呼んで』の二本立てだ。

まだ前の回の上映が終わっていなかったから、待合用のソファに腰をかける。
会場五分前だというのに待ってる人は2人しかいない。
右に座っているのは黒髪の女性。彼女は『我が闘争』を読みながら眉間に三本の縦じわを寄せていた。
対面の別のソファに深く腰掛けている男性も本を読んでいた。『文学界 5月号 - 新人賞発表、今回は二本が入選!』。おじいちゃんも小説書いてるのかなあ。
スマートフォンを弄っているのは私だけだった。

来るたびにタイムスリップしたような感覚におちいる。
壁にかけてあるSEIKOの時計のしろい塗装は、半分以上剥げているし、置いてある雑誌は私がまだ私だと言えないくらい昔の頃のもの。
キネマ旬報なんて私が生まれる前の1992年の号もある。

前の回の上映が終わって人が出てくる。
数人がまだ残る館内に入る。
私は前から5列目の左端に腰掛けた。ここが私の定位置。
人なんて座ってくるはずがないから、荷物を全部隣の席に置いた。
何年前に作ったのかわからないダサい上映案内
が1分ほど流されて、本編が始まった。
流行りの映画の宣伝を観なくていいのは気楽で、好き。

二本も映画を続けて観ると、どっと疲れる。
この日はどちらの映画も2時間を超えてたからなおさらだ。アデルなんて、3時間もあった。
私を異世界に連れてきてくれた階段が今度は逆再生する。
6時間ぶりの外の世界は眩しすぎる。私はただでさえ開いてないような目を更に細めた。

道行く人は半分以上がスマートフォンを弄りながら歩いている。
スマートフォンは外から観る分にはただの箱で、詮索心が働く余地がないから楽だ。
私はイヤフォンを耳の穴に押し込んで、歩き始める。

#散文 #自由散文 #春

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