【娯楽の塵】果肉飲料の類
1975年
ベトナム戦争終結
終結の日はいつ来ますか。何処かに未来を知っている誰かがいればいい。その問いは自分にしか届かず、美しさを欠いてしまった軽薄な行いをあらわにする。衝突から勝敗を求める癖をいい加減に無くすべきなのです。
生きるか死ぬかを迫られずに勝敗でしか終結しない物事を左右する力は明白に無い。軸としてきた信念が軸に値するのか今一度深く考える。そして彼の人と比べればそれは目指したい美しさとはかけ離れた軸であると発作のように知らされて、また続ける意味を、諦めない明日を取り戻す。
凝り固まった執念は早々に消え失せるものではなく、それもやはり負けたくはない気持ちが、侮蔑だと勘違いする気持ちが鬼のように大きくなって、取り憑いて離れない。これがすっかり無くなる時こそ図らずして行う動きがようやく美しいものに変わっているのかもしれない。
傷は暫く癒えない。不本意な気持ちがこの先も目の前でゆらゆらと姿を現す。消化しない気持ちはもう固めてはいけない。混ぜて、流すのがいい。今までの強さで、作り上げてきたまた別の美しさで、混ぜて柔らかくして流してしまえればいい。
目指すものを正しさと重ねる。その正しさが美しく見えるとき、ひと粒の涙が流れて良いよと囁く。ここに終結の朝が彼の人のぬくもりと共に訪れる。
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