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【娯楽の塵】野菜ジュースの類
清涼飲料水用スチール缶(野菜飲料)
推定投棄日 1981年ある日
1981年
FOCUS創刊
必要なのはフォーカス。今、そしてこの先も。
散漫な意識に連れ去られる前にずっと失くさずに巣食っている自分の中の核にフォーカスしていたい。
思考や感情は十分に調和を優先し、振り回されるだけ振り回されてピントがズレがちだ。
分からない事への不安にどれほどの人がもやもやとしているのか。模索する時間が馬鹿馬鹿しさをぶら下げて過ぎ去って行く。
過激な写真の何が過激なのかを説明しなければならない時代にジャーナリズムが一瞬でも芸術性を纏う事は無い。宣伝や戦略で出来上がった対話は成ってエンターテイメントだ。そして一度エンターテイメントに傾いたジャーナリズムは「面白くない」ことを理由にその娯楽の塵の奥深いところへと追いやられてしまうのだろう。
私が私である事実にフォーカスしなければならない。他の誰でもない私が誰に教えられるともなく気付けば抱いているような衝動を、その正体が私である本質かもしれないと、フォーカスし続けなければならない。
記憶というアルバムに存在する私のポートレイトを見返せばその瞳が全てを語っているようで、私は私だとただ強く諭されている。
想像する
昔むかし、大変な病に人々は苦しめられていました。その病は一度患ってしまうとその後ずっとその人の暮らしを蝕んでいくのです。知らず知らずのうちに見つかるはずのない探し物を永遠と続けるように。その病の名は「何者」。